『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

Week 38 : Get Low

Week 38 : Get Low
ローアングルで撮影した風景写真

 

金沢のどぶそにスミレ咲いていました。

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ふふ、本当は知っているんです、ローアングルって何か。一緒にいた友人が最近はまってる撮り方で、下から撮るんですって。

 

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ん、満足。

 

 

 

この課題は2月の課題です。今月こそは2月から4月の課題をちゃんとやりたいです。

残っている課題

2月の課題
Week 39 : Handmade
職人の手工芸品に触発されたアートの写真
3月の課題
Week 40 : Sitting in a Chair
伝統的でフォーマル、もしくは自分なりに解釈したイメージの
椅子に座っているポートレート写真
 Week 41 : Get High
高い場所から見下ろして撮影した風景写真
 Week 42 : Minimalist
ミニマリストのアプローチで被写体を孤立させたアート写真

4月の課題
Week 43 : The Elderly
高齢者の人生物語が伝わるポートレート
Week 44 :  A Tree
「一本の木」がある風景写真
Week 45 : Nostalgic
ノスタルジック(懐古的)なアート写真

 

おまけ:

今日は雨です。10:00から月参りがあります。

大島っぽい着物にします。大島でないのは、まあ、触るとわかる。

大島は水に強い。

呉服屋の担当さんが「迷林さんは、藍が似合うと僕は思う。」といってくれたので、藍色の着物がすごく気になる。彼は転属になって、よくしてもらったのに、70%オフの浴衣を一枚だけしか買ってあげることがなかった。どうしているかな。

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追記:今日の帯は、半幅帯にしました。この帯は、ほていやの彼が選んでくれたんだったな。白と黒のリバーシブルで気に入っている。5000円くらいだったかな?

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ふふ、遊林が撮ってくれました。

毎日【カワラヒワ】を撮っています

外を見ていると【カワラヒワ】が飛んで来ました。

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2017.4.6.撮影

Canon PowerShot SX710HS(光学30倍ズーム)

(「キャノン」じやなくて、「キヤノン」なんですって。「ヤ」はちっちゃくしないんですって。最近友人に教えていただきましたよ。ご存じでしたか。

あ、「Canonの名は観音に由来する」のは知っていたんですけどね。)

 

これは、金沢市浅野川沿い、観光地で有名な東茶屋街の近くで撮りました。

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 2017.4.5.撮影

Nikon D5500 NIKKORレンズ 55-300mm

 

カワラヒワ
鳴き声:リリリーン
大きさ:約14cm
色:黄緑色
特徴:薄いピンク色で少し太めのクチバシ、体は黄緑がかった褐色
参考:「鳴き声と羽根でわかる野鳥図鑑」監修 吉田巧 岩下緑 池田書店発行

 

9.アトリの仲間1 

 

これはお兄ちゃんが部屋から撮ったもの

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くすくす、ぴーちゃんのエサの残りを窓の外に捨てるから、それを食べに来てる。

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2017.4.4.撮影

Nikon COOLPIX B700(光学60倍ズーム)

 

いずれの写真も、トリミングなどしていません。割と近くにいるのと、コンデジのズームがとても優れているといえます。

 

 

 

突然置き去りにされたので、

明日の予定を黒板に書いて、明日から吸うたばこを3カートンも買いおきして、

突然

 

春は泣いてばかりで。

 

なんてね、花粉症が辛いだけなんだけど。 

 

この時期は毎年、4/6から10日まで五日間永代祠堂経の法話を任されていました。

自分からやめると言ったのに、喪失感がちょっと辛くもあります。

笑って、泣いて、時には眠ったりして、

穏やかな晴れた日、家でやりことだっていっぱいあっただろうに、一生懸命にお参りに通ってくださったおばあちゃんたち、元気にしているかな。今日もお話聞きに行くかな。

私がもう、今年で終わりにしましょうと言ったとき、若坊守さんがぽろぽろ涙をこぼした。「これでいいんだよ、ピンチヒッターならいつでも行くよ。お手伝いをすることがあれば言ってほしい。いつも大事に思ってる。そうだ今度、飲みに行こうよ、やっちゃんと三人で。」三人の都合がついたら、今年も飲みに行く。4月に。

【木蓮】と【オナガ】

【木蓮(モクレン)】てなんでこんなにきれいなんだ。
春の曇り空だからこんなにきれいなんだろうか。
「曇りで良かったね」と私が言うと、友人が「わからんぞ、PM2.5でくもっているだけかもしれないよ。」といった。なるほど、ものは考えよう。もしかしたら、私は幸せな人かもしれないね。と話していた。

 

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木蓮がきれいで、ぼーっとしてしまった。

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これは、【こぶし】木蓮よりちいさめ

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おや?

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エナガ】、カラスの仲間で、天女のように飛ぶ 

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ayukame:ほんとだ、きれいだ、尻尾が長くて。鳳凰みたいだ

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エナガ】がこのお寺に巣作っているようでした。もしかしたら、お寺のかたは迷惑しているのかな。また、見に来たいから、堪忍してあげてね。

 

お寺の前にも、【木蓮】。

【木蓮】に誘われて、極楽浄土に鳥が飛んでるのを目の当たりにした時間でした。

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【木蓮】といえば、やはりこの曲です


「木蘭の涙~acoustic~」スターダスト☆レビュー【LIVE】

 

おじさんの歌う、切ない切ない恋の歌が、本当に切なくて

ぼーっとなります。

 

今夜はもう一曲


浜田省吾 『片想い (ON THE ROAD "FILMS")』

 

金沢の桜を撮りに行きました

親友のayukameちゃんと、金沢の桜を撮りに行きました。

迷林:あー、うっかりしていたよ、ごめんね、ayukameちゃん、13:30から金沢別院で木越樹先生のお話を聞きに行きたいから、朝早めでもよい?

ayukame:では、金沢別院10:30に集合

 

金沢の桜の開花予想は4/12、まだ少し早いのですが、これから咲く桜もよいですね。

 

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【ツバメ】を見つけましたよ。

今日はあたたかかったから、あちこちで見かけました。 

ピンボケ(涙)

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【ツバメ】といえば【ヤナギ】まだ葉が少ない

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【木蓮】てなんでこんなにきれいなんだろう。

後ほど【木蓮】だけ別にアップします。あ、水色の鳥【オナガ】も一緒に。

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「じわもんや」でランチして、「泉鏡花記念館」へ行って、13:10に金沢別院に戻りました。

ayukame:「いってらっしゃい、(しっかり勉強して)今度の私の寺でいい話してよね!」

迷林:「うん、まかせて!(笑)」

といってわかれた。

 

shinshuhouwa.info

Week 37 : Fashion 伝統的な洋服など

Week 37 : Fashion
アバンギャルド、広告、伝統的な洋服など
ファッションに注目したポートレート

 

伝統的な洋服にしました。

 

これは、大島紬。百貨店のながもちやセールで買いました。質流れみたいものかな。裄(横幅)が60cmと狭くて、丈(長さ)も150cmと短めなので、5000円でした。

なんてきれいなんだ、着れなくても買いたい。

いやちょうど、いつも着ている白衣もそれくらいだ。

と、思い切って買った。初めて買った着物。

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この、芥子色がまたお気に入り。

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帯もオークションで二束三文で買いました。

クジャクの柄は人気があって、2000円くらいだったかなぁ

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実は、この帯締めは高級品で、滋賀のなんとか藤左衛門手組紐です、たぶん。人間国宝みたいにも書いてあったような。はっきりしたら訂正します。

もちろんオークションで買いました。二束三文でしたが、すごく良くて、大好きでよく使っています。

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着物着て、うれしげにどこへ行ったかというと、お講でお話をしてきたのでした。

 

最近、ずっとひっかかっていること、いやむしろ、長いことわからなかったけれども、なんだかすっきりはっきりしたことをお伝えしました。そんなことってあるもんです。その時に「ああ、いまこれ信心決定したんだぁ。」と思うのかもしれません。和田稠先生はそのことを、「永生の楽果」という言葉で、「ああ、私はわかった。」と座り込むのではなくて、問い続け出遇い続けることなんだ。と話されていた。

 

この課題は2月の課題です。2月に、ご門徒のおばあちゃんにいただいた紬の着物を着て、たすきをして、いつもの家事姿を遊林に撮ってもらったでしたが、行方不明になったので、見つかったらまたアップします。

 

 

「遇う」という字は知らなかったものにあうのではない

佐野明弘さん法話より

 

だから私たちが真宗(の教え)は遇うものだという時、「遇う」という字を書きますよね。

この「遇う」という字は知らなかったものにあうのではないと、『真宗新辞典』にはそう書いてある。

本来知っていたんだけれども、忘却をしていた、そのことが「出遇う」形で思い起こされてくる。

 

だから念仏に遇うということは、南無阿弥陀仏に遇うということが、自己に、自分に出遇うということなんですね。

南無阿弥陀仏と対照的に出遇うのでないんだと。

南無阿弥陀仏に出遇うということが自分に出遇うという、一つの、自分を思い起こした、と言ってもいいんです。

思い起こされた自分と、忘れていた自分というものが、実は分別意識という場所なんです。

だから自覚が起こる時にはどうしてもこの分別意識というのが必要なんです。

私たちは花一つを見てああ美しいなぁと言いますけれども、花一つが美しいということの中に、美しさも見ておりますし、いのちの世界全体にこれ触れているんです。

だからそこには善悪はないんです。

いいとも悪いともそういうことではなしに、ただそれを美しいと感覚しているんですね。

そういう真実から離れて、自我の中で一生懸命やっているものが、花一つに触れるところに、ある意味では、閉じこもった自己の中に感じられるものとして、その全体が花のところに触れてきたと、こう言ってもいいです。

それは自我というものが本当のものから離れてしまっているというところにしか出遇えないんです。

これは出遇うというのも離れないと出遇えないんです。離れるから出遇えるんです。

自覚が起こるということは、そうでないものに起こるんです。

思い出すということは、そうでなかった、

旅人がふと、帰ろうとする。

これは外に出ていたということです。

外に出なかったら、帰ることができない。

外に出たものが初めて帰るということを体験するんです。

 

この私たちの自我というのは果てしなくこうやって迷ってきた。

その果てしなく迷ってきたところに、帰るということが初めて成り立つ。

 

それを促すかのように私たちが帰ろうとすると、こういうことを繰り返して来たんですね。そういうことでなしに、道、道程の先に私たちの安住するような世界があるのではなしに、そうではなしに、常に外に出ているものが、外に出ているということを自覚さしめられるということで、うちなるものを感じるんだ。こういう具合になっているんです。目覚めということが私たちの意識に願われている根本の問題なんだということですね。

 

今日のはちょっとかなり禁じ手です。「であう」という言葉にこだわって、「会う」「逢う」「遇う」という字を常に使い分けています。

 

「会う」は同じ場所などで「会(かい)する」こと。

「逢う」は恋人同士の「逢い引き」など。

そして、「遇う」は、山道を歩いていて、石が急に落っこちてくる、なんかも「遇う」だと聞いたことがあるけれど、「遇う」は、「遇うべくしてあう。」 

「遇う」という字は知らなかったものにあうのではないと、『真宗新辞典』にはそう書いてある。本来知っていたんだけれども、忘却をしていた、そのことが、出遇うという形で思い起こされてくる。

 

三帰依


人身(にんじん)受け難(がた)し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。この身(み)今生(こんじょう)において度せずんば、さらにいずれの生(しょう)においてかこの身を度せん。大衆(だいしゅう)もろともに、至心に三宝(さんぼう)に帰依し奉るべし。
  自ら仏に帰依し奉る。まさに願わくは衆生とともに、大道を体解(たいげ)して、無上意を発(おこ)さん。
  自ら法に帰依し奉る。まさに願わくは衆生とともに、深く経蔵に入りて、智慧海(ちえうみ)のごとくならん。
  自ら僧に帰依し奉る。まさに願わくは衆生とともに、大衆を統理して、一切無碍(いっさいむげ)ならん。
無上甚深微妙(むじょうじんじんみみょう)の法は、百千万劫(ひゃくせんまんごう)にも遭遇(あいあ)うこと難し。我いま見聞(けんもん)し受持(じゅじ)することを得たり。願わくは如来の真実義を解したてまつらん。

真宗聖典」一頁の前

 

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月は 昔を思い出すためにある

40歳過ぎてから知ったことだけど、十五夜ってのは満月で、月がまん丸くなる。だから月の始めは月が細い。細い月が好き。

 

『ヨーコさんの”言葉”わけがわからん』(佐野洋子文、北村裕花絵、講談社) より

 

その4 お月さま

 

私が一番嫌いな写真は人間が月面を歩いている写真だ。

 

テレビで見た時も、「あんた、何しに行っているの、用もないのに」としか思えなかったが、

 

男たちは興奮していた。

 

お月様はウサギが餅ついているだけでいいの。私は侮辱されたような気がした。

 

山道を車で走っている時月を見ると、

 

昔のお姫様が月を見て男を待っていることを想像する。

 

唐土(もろこし)で、日本の月を恋しがる男の孤独を考える。

 

十二歳くらいの子守女が、冬の月を指さしている

ひび割れた小さな手を切なく思ったりして、

 

月は限りなく過去に私を連れて行く。

 

あれば見るものである。全ての人類が月を見て

あれこれ思いにふけったり、ただぼーっとしていたのだ。

 

月の石を待って帰ったりするのは狂気の沙汰である。

 

人にはやっていけないことがある。

そして人は

やっていけないことばかりしたがる。

しちゃうと当たり前になる。

 

未来はいつもいかがわしい。

つんのめって手先走る現実に、

もう私は息切れがしている。

 

一昨日(おととい)が満月だった。

この季節の満月を見ると、

北京(ぺきん)の月見を思い出す。

お客が酒盛りをしていて、

北京の中秋の名月は世界一だと

何回も何回も言って

 

大人たちはあごをつき出して

空を見ていた。

 

しかし私は地面にいる虫を

さがして下ばかり見ていた。

月を見なくちゃいけないと

上を見た時、

塀の上を黒い猫が歩いていた。

 

私は黒い猫に感心した。

 

大学の修学旅行で

奈良に行った時、

みんなひっくり返って

月を見ていた。

満月だった。

 

男の子の顔が昼前より

はっきり見えた。

 

「お前さぁ今はモテないけど

二十七、八になったらいい女に

なるよ。俺(おれ)そんな時になったら

惚(ほ)れてやってもいいぜ」

 

「そんな先のことじゃなくて、今惚れなよ」

「そりゃ無理だよ。絶対無理だな」

あの男の子はどうしただろう

 

ベニスで十歳くらいの男の子にナンパされた。

夜の八時に教会の噴水のところで待っているといった。

一二時近くにベランダに出たら月が出ていた。

海に光がさわさわ映ってていた。

本当にあの子は教会の前で待っていたのだろうか。

なんだか笑いたかった。満月だった。

 

ほら、月は

昔を思い出すためにあるのだ。

 

今夜は月を撮ります。

 

クレーターなんか見えたら、

佐野さんに叱られそうですね。

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今日はお昼にも撮りました。

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春の昼の月。

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罪障(ざいしょう)功徳の体(たい)となる  親鸞聖人のことば

高僧和讃 493P

曇鸞和讃

 

17
論主(ろんじゅ)の一心ととけるをば
 曇鸞大師(どんらんだいし)のみことには
煩悩(ぼんのう)成就のわれらが
他力(たりき)の信とのべたまう

 

※論主(ろんじゅ)の一心ととけるをばー天親「浄土論」は、「世尊我一心(せそんわれいっしんに)」ということばに始まる


18
尽十方(じんじっぽう)の無碍(むげ)光は
 無明(むみょう)のやみをてらしつつ
 一念歓喜(かんぎ)するひとを
 かならず滅度(めつど)にいたらしむ


19
無碍(むげ)光の利益(りやく)より
 威徳(いとく)広大の信をえて
 かならず煩悩(ぼんのう)のこおりとけ
 すなわち菩提(ぼだい)のみずとなる


20
罪障(ざいょう)功徳の体となる
 こおりとみずのごとくにて
 こおりおおきにみずおおし
 さわりおおきに徳おおし


21
名号(みょうごう)不思議の海水(かいしい)は
 逆謗(ぎゃくほう)の屍骸(しがい)もとどまらず
 衆悪(しゅあく)の万川(ばんせん)帰(き)しぬれば
 功徳のうしおに一味(いちみ)なり


22
尽十方(じんじっぽう)無碍光(むげこう)の
 大悲大願(だいがん)の海水(かいしい)に
 煩悩(ぼんのう)の衆流(しゅりゅう)帰(き)しぬれば
 智慧(ちえ)のうしおに一味(いちみ)なり

 

 

なお、曇鸞和讃は三十四首あり、高僧和讃の中でもっとも多い。

 

正信偈』では以下のような六行

本師、曇鸞は、梁の天子常に鸞のところに向こうて菩薩と礼したてまつる。
 三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
 天親菩薩の『論』、註解して、報土の因果、誓願に顕す。
 往・還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
 惑染の凡夫、信心発すれば、生死即涅槃なりと証知せしむ。
 必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生、みなあまねく化すといえり。

正信偈』206頁

 

東本願寺のホームページに、古田和弘先生の、正信偈の教えを連載している。

正信偈の教え-みんなの偈- | 東本願寺

惑染(わくぜん)の凡夫(ぼんぶ)、信心(しんじん)発(ほっ)すれば、
生死(しょうじ)即(そく)涅槃(ねはん)なりと証知(しょうち)せしむ。

 

 

惑いに染まる私が、その惑いを、その罪障が、功徳の体となる。 

こおりとみずのごとくにて  こおりおおきにみずおおし  さわりおおきに徳おおし

 

 

 

「たまには弱み見せてくださいよ。」

 先日図書館で借りた本を読み終えた。

NHKで目にすることもあるこの著書は書いてあることが少ないのですぐ読めた。絵本と詩集の間のような、こんな感じも良いもの。

ヨーコさんの“言葉” わけがわからん

ヨーコさんの“言葉” わけがわからん

 

 

ということで、佐野洋子さんのようにつぶやいてみたくなった

 

 若かりし時「たまには弱み見せてくださいよ。」と、年下の男の子に言われたことがあった。

いや、正確には年賀状に書いてあったんだった、思い出した。

私は二十代後半で彼は大学生だったから、今思えばそれほど年が離れていたわけではなかったのだなぁと思う。

 

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彼は本願寺派のお坊さんで、当時は龍谷大学の学生さんだった。
たしか東西本願寺派合同行動非戦平和パレードみたいのが、東西本願寺がある京都駅周辺であってそれにお互い参加した。(今でもあるんだろうか。)
私は全国仏教青年同盟の事務局をやっていて、その「仏青同盟(ぶっせい)から5人パレードに出てください。」と陰のボスから指示があって、参加したような気がしてる。まあ、そういうこと、非戦をねがう強い気持ちなんぞがあって練り歩いたわけではない。ただ、尊敬して慕っていた先生が何人か参加しておられたな。
なんだか封印していた過去をのぞいた気持ちである。

 

三月の半ばに(恐れていた)法話の機会があって、

いろいろあったので、これまた昔に先生に聞いた言葉を思い出していた。

 

 

みなさん、ようこそお参り下さいました。

先日、3月10日に、娘の中学の卒業式がありまして、
朝7時におきまして、自分で髪をセットして、訪問着を着て、
9時過ぎに、中学に行きました。感動しまして、泣いてばかりいました。
校長先生の「学校長式辞」に感動していました。

 

思えば、遊林の中学入学式の校長先生の言葉に、うなだれた、覚えがあります。
その時の、日記(ブログ)があります。

 

4月7日に中学校の入学式があった。色無地をかしてあげるわよ!という方がおられたので、自分で着て行ったが、寒くて途中から帰りたい一心だった。

そんな中で、校長先生が、吉田松陰の言葉を紹介した。
吉田松陰というのは、幕末の武士、長州藩士で、一般的に明治維新の精神的指導者・理論者として知られます、

「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、 計画なき者に実行なし、 実行なき者に成功なし。 故に、夢なき者に成功なし。」

吉田松陰

と、校長先生は高らかに語って、私はげんなりして、
私は今中学へ行っても劣等生だなぁ、夢ないし、成功とか目指してないし、と思って悲しくなって固まりました。楽しく期待に胸ふくらませて写真撮ってる場合でなくて、そそくさと帰りました。

 

でもそれが唯一最大の収穫で、
その日は、昼から法話で、聞いて下さるおばあちゃんたちに愚痴っていました。
と、書いていたのですが、

卒業式は、感激でいっぱいでした。


自分の中学卒業式は何の思い入れもなかった。これからの生活に期待も不安もなかった。ただ少したくさんの仲良しの友達とこれから共に過ごすことができないことが寂しく思えた。

校長先生が、はなむけの言葉を話されました。

 

「一歩、前へ。」(うちの男便所に書いてある、と、思ったが、それ、いま考えちゃ、ダメ。と自分に言い聞かせて、)

私たちは少し上手くいくと満足して立ち止まってしまうことがある。現状に満足することするのは、後退すること、ともいう。なぜなら周りが進歩するから。だから、一歩前へ。私はここに来て3年、みなさんの成長に関われたことをうれしく思う。

と、話されました。
中学の三年は聞いていたとおり、娘の成長が早くて、
反抗期もあり、彼女自身悩んで悩んで日光じんましんになったり、
泣いたり、怒ったり、優しくなったり、そして、親である私を「リスペクト」したり、リスペクトというのは、尊敬という意味で今、流行っている言葉てす。



式の最後に、卒業の歌が歌われました。

卒業生からは「巣立ちの歌」
花の色雲の影 懐かしいあの思い出
過ぎし日の窓にのこして 巣立ちゆく今日のお別れ
いざさらばさらば先生 いざさらばさらば友よ 美しいあすの日のため

風の日も雨の日も 励みきし学びの庭
かの教え胸に抱きて 巣立ちゆく今日のお別れ
いざさらばさらば先生 いざさらばさらばともよ 輝かしい明日の日のため

在校生からは「旅立ちの日に
白い光の中に 山なみは萌えて 遥かな空の果てまでも 君は飛び立つ
限りなく青い空に 心ふるわせ 自由を駆ける鳥よ ふり返ることもせず
勇気を翼にこめて希望の風にのり このひろい大空にー夢をたくして

懐かしい友の声 ふとよみがえる 意味もないいさかいに 泣いたあのとき
心かよったうれしさに 抱き合った日よみんなすぎたけれど 思い出強く抱いて
勇気を翼にこめて 希望の風にのり このひろい大空に夢をたくして
いま、別れのとき 飛び立とう未来信じて
弾む若い 力信じて このひろい大空に
いま、別れのとき 飛び立とう未来信じて
弾む若い 力信じて このひろい、このひろい大空に

 

ぐすっぐすっと、泣いているお母さんがいる。私も泣きましたが、
子どもってのはいいなーと、親にしてもらえる。
お母さんにしてもらえるんです。と、しみじみ、思いました。

飛び立とう未来信じて。人間には無限の可能性があるんだから。

 

これは、娘が、今年の「書き初め」に書いたものです。

「無限の可能性」

 この言葉を選ばれた習字の先生は、この村にも縁の深い○○先生です。中学生は先生の字をお手本にする。私も先生に習字を習っています。
先日、10日に、電話がありまして、「ご丁寧にありがとうございます、全然行けてなくてすみません、必ず行きます、当然1,2,3月号のテキスト代はお支払いしますよ。」「ああ先生、もう一つどうしてもいいたいことがある、私も、あの言葉が一番好きやよ、ありがとう、娘の書いたやつを部屋に貼っとるよ。」と伝えました。哲学者ハイデガーの有名な言葉です。

 

さて、娘は、受験勉強から解放され、今は毎日、友だちと遊んでいます。

今回の永代祠堂法会のはじめの日、3月11日に、佐野さんの言葉をお伝えしました。

私たちは「楽」をねがって生きているのだけれども、
「楽」は苦が抜けた状態です。
苦がとれると楽を感じる。お腹が痛いという時苦しいでしょう、
それが薬を飲んだり痛みがとれて来ると、楽、楽というのは苦がとれた状態。
苦がなかったら、楽も感じない。苦がとれるとその時に楽を感じる。
楽を感じているのは苦があったという証拠。
苦しみの経験がだんだん薄れて行くと、楽になったという気持ちも薄れる。
楽が感じる内容は苦があったということ、である。

楽が感じる内容は苦があったということ。

佐野明弘

 


それで、遊林に、今、「楽」だねぇと、それは、「苦」があったからだねえと、話しました。「こんなに、楽を感じれるなら、苦もいいでしょう」と、いいましたら、「苦もいい。」と娘は言いました。


私は和田稠先生が言っておられた言葉を彷彿としました。
「もう少しこの苦を味わっていてもいい。」 
ドフトエフスキーか、ゴーリキーだったか忘れましたが、
とにかく、主人公のアンナだったと思いますが、
救いに出遇った時に言った言葉です。
飲んだくれの亭主を持って、必死に稼いだ少しの金を、亭主がバクチや酒に使ってしまう、明日食べる物もないような生活を過ごすアンナだけれども、
救いに出遇った時、「もう少しこの苦しみを味わっていてもいい。」


と、いったというのですけれども、
うろ覚えの記憶をたぐりながら、お御堂の後ろにある『世界文学全集』を探しに行ったらありました。ゴーリキーの「どん底」でした。
が、ずいぶん長くなってしまったので、原典はまた違った形でアップします。

旅のお土産2 新種二匹

お兄ちゃんが今回の旅で「新種三匹撮った。」と、いばります。

 

【コガラ】

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【コガラ】スズメ目シジュウカラ
鳴き声:コーキーコーキー、ピッツツピーピッツツピー
大きさ:約13cm 
色:灰色
特徴:黒色の頭部。目から下は白色。クチバシの下は黒色。脇はやや褐色

   頬は白い。翼帯はない。喉の黒い部分は小さい。雄雌同色

 

7.シジュウカラの仲間

 

参考:「鳴き声と羽根でわかる野鳥図鑑」監修 吉田巧 岩下緑 池田書店発行

   「くらべてわかる野鳥」叶内拓哉 山と渓谷社発行

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【カケス】

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【カケス】スズメ目カラス科

鳴き声:ピェー、ジェッジェッ

大きさ:約33cm 

色:茶色

特徴:茶褐色の体、白黒水色の三色からなる翼、ごま塩をふりかけたような頭が特徴
頭頂は白く黒い斑点がある。黒、青、白色の模様。雄雌同色。

他の鳥や動物の鳴き声の真似をし、なかには人の声真似をする個体もいる。

警戒心が強い

 


26.カラスの仲間

参考:「鳴き声と羽根でわかる野鳥図鑑」監修 吉田巧 岩下緑 池田書店発行
   「くらべてわかる野鳥」叶内拓哉 山と渓谷社発行

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そして、もう一種は、今月のファイル利用量を超えてしまいましたので、

また4月に入ってからアップすることにします

 

おまけ:

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