Week 40 : Sitting in a Chair
伝統的でフォーマル、もしくは自分なりに解釈したイメージの
椅子に座っているポートレート写真
うむ。
これはもはや、禁じ手
だから、もう一回禁じ手。
これやといいですよね、
まがってますが。(iphoneで撮影)
おまけ:ふすま戸から、にゃんこ
で、ゆるしていただきたい。
Week 39 : Handmade
職人の手工芸品に触発されたアートの写真
写真は大きいけれど、ぐい飲みだから手のひらに収まるくらいの大きさです。
誰も気づかなくて。こんな素敵なもの10円て、ひどいよね。
裏を返すと、「善吾楼」の刻印。お店の記念品なのかな。
九谷焼って書いてないけど?って、
見りゃわかるよ、これは、九谷焼。
さて、
お気に入りの九谷焼はたくさんある。でも買ったものってほとんどない。
まあ、金沢というお国柄です
カワセミのお皿。五枚揃え
素敵でしょう。煮ものなんかをちょこんと盛る。
パソコンに、明るい友人ができて、
「触ってみる」ということを始めることになりました。スマホの写真アプリだって、まあ、パソコンだって、いいまで使うことがなかったちょっとした便利な、ちょっと楽しい機能がたくさんあることを知りました。
そんなわけで、ちょっと加工しましたよ。明るくして、なんだったかなー、忘れた(笑)。
最後は、父の形見
よくわからないけど、すごく高いみたい。「柿右衛門」だと話していた。
伊万里の窯に行って、話を聞いた。
そこで、買ってきた。
って言っていたような、気がする。まあこれもずいぶん前の記憶だから、正しくないかも。もう、15年以上前のこと。
九谷焼がすきな私を、「そんなもの、印刷だろう、これは、見てみろ、手書きだから、一つ一つ違うんだ。」って威張っていた。
一つしかなかったら、手書きだから一つ一つ違うってわからないよなー。と思ったが、角が立ちそうだったから、言わなかった(笑)
いーじゃないか、どっちもきれいだ。
職人の手工芸品。
あとで、金沢の棒田和義さんの作品を紹介します。
九谷焼の陶板を作っていらっしゃいます。すっかり好きになってしまって、何点か(母が)買いました。絵だと、カビてしまう。陶器だと、長持ちしそうだ、だからすき。
いーやろー
七尾市に行きました。
駅に近いホテルで宿泊。県外から来られるようなら是非もう少し足を伸ばして和倉温泉といきたいところ。
今回は友人のお寺で友人のお話があったので、友人たちと遊林に声をかけてお話を聞きました。一見、うちわで盛り上がっているだけのようですが、参加者はそのお寺のご門徒さんたちのほかにも、近隣のご門徒さんや、とにかく新聞にチラシを入れたということもあって、いろんな方がお参りに来ていました。地元の仲間、富山から2時間かけて参加した友人(の友人(笑))。それから、1時間かけて参加したうちのスタッフ2名、浄土真宗本願寺派の友人。高校生の遊林、小学生くらいの子もいたな。浄土宗のいとこ・・・
そういうのって、とっても素敵ですよね。
さて、次の日も10時からお話があったのですが、
エスケイプして、七尾の海を見ながら、車で二度寝
海と川が繋がる場所。ここでお兄ちゃんがハゼを釣ってきてくれたことがあった。
父の見ていた海。
八重桜が撮りたかったけど、iPhone5sじゃいまいち(笑)。
少し休んで、午後の法話には、参加したかった。
そこで、以前から行ってみたかった、「田鶴浜野鳥公園」へ。
ちょっと曇っていて、まあそれはまた、いいなぁと。
すずめ、すりすり。かわいー
向こうに見えるは、能登島大橋
海に面した森を歩く
お、いーの撮れたどー。
【ヒヨドリ】だけど。
これも【ヒヨドリ】
これも。
「ヒーヨ、ヒーヨ!」
おお、あれは?
【モズ】でした。メスだ、たぶん
リフレッシュ。
おまけ:
すっかりすきになってしまった【レンギョウ】
晴れた日、ぼーっと見つめる
ん、最近迷林ぼーっとしていること多いな。ま、春だし
4月はじめに撮った
これは、金沢で
不思議な椿?
デコポンなっていた。
「僕が死のうと思ったのは」amazarashi僕が死のうと思ったのはあなたが綺麗に笑うから死ぬことばかり考えてしまうのはきっと生きることにまじめ過ぎるから僕が死のうと思ったのはまだあなたに出会ってなかったからあなたのような人が生まれた 世界を少しすきになったよあなたのような人が生きてる 世界に少し期待するよ
あ、遊林いわく、この動画は、amazarashi という方ではないんだそうです。でも、歌詞も、この方の声とか感じもよいので、気に入って繰り返し聞いています。
いよいよタラの芽でてきましたよ
スイセンていろいろあるけど、どれもきれい
働き者の村の人たち
【キジバト】
【シラサギ】が対になって飛んでる
田んぼの水にお日様がうつってる
お散歩っていいね
自然が豊かであることっていいね
そうそう、春ご飯をアップします
畑のキャベツでホイコーロー。
この時期のキャベツは、ちょっと真ん中がエイリアンが住んでいるみたいに、中から裂けてきています。
母が採ってきたワラビの煮物ふかし入り
ワラビの酢の物も作りました
ブリの切り身を焼きました。焼き色4、ちょっと強めに焼いています
前日、スーパーで買ってきた刺身を食べ忘れたため、
苦手なブリやサーモンはしょうゆに漬けて、
前日の小松菜、エリンギ、木綿豆腐の煮物の余りを水気を絞って、
漬けと、これらを炒める。
あとは
トマトのサラダ ネギとショウガの中華ソースがけ
ごめんよ、今夜のご飯も遅くなって。
海にネコを探しに来ました。
いーっぱいいます。
私のような山の人間には貴重
にゃー!
他人のそら似ということがある。
女子校時代の同級生に、子ども奉仕団のスタッフが似ていた。
金沢市の女子高校生と、鈴鹿のお寺のわかさん(男の子)が似ていたのである。年齢はたぶん一廻りくらい違う
先日、他の用事のついでに海を見に行った。
たまたまカメラが載っていたから、
一緒にいた友人にも撮ってもらうことにした。
なんて、私みたいな写真を撮るんだろう。
どっちが撮ったかわからない。
自分に似た人
はじめてあった。
白梅が満開で風のない日に、
「意外だと思われるかもしれませんが、あなた、私に似てるんです。
私をよく知る友人たちは
クソ真面目といって褒めてくれます。
クソまじめなとこ。似てる。」
と、メールした
それからしばらくして、
「あなたと私は、業が似ている。」と彼は返事をくれた。
「業(ごう)」、仏教のことばだから、説明するときは、
どこで生まれたか、どんなふうに育ったか、何に出会って、なにを背負っているか、
とまあこんなふうに話したりするけれど、
性格と言うこともそうだし、好きなこととか、やりたいこと、大事に思っていることとかも「業」という言葉に含まれる。仏教用語を使うというのは、そういう利点もあるんです。馴染みがないから、遊林には言葉の意味を説明しているけれど。
桜の頃、よくよく考えたら、私に似ているのでないことに気づいた。似て非なるもの
父に似ていたんだった
涙がたくさんたくさんこぼれた。
泣きながら月参りに行ったけど、ご門徒さんにはばれなかった。おばあちゃんだったら心配したに違いない。
あいたかった人に、
もう二度とあえないとあきらめてあきらめて、毎日あきらめて、あきらめることなんてなかった人に、あえた。
そら(それは)涙もでるよ。
(向こうは、そんなこと言われても困るだろうけど(笑))