お散歩道草 osanpomichikusa 

-続迷林遊林航海記

『歎異抄』随想

『歎異抄』第三条 善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや 

今月は『歎異抄』第三条です。「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。しかるを、世のひとつねにいわく、悪人なお往生す、いかにいわんや善人をや」(善人でさえも往生を遂げる、まして悪人はいうまでもない。ところが、世の人々はつねにこう言う、悪人…

GWの法事で伝えたこと、伝えられなかったこと

272829日と法事が続いた。 浄土真宗の法事は、(死んだ人のために勤めるのではなく)亡き人を縁として念仏の教えを聞く場を開くということが願われてきた。と、習っているので、毎回必死で読経の後、短い法話をする。 話したいことはあるのだけど、話せなかっ…

信心とは何か(廣瀬杲先生「歎異抄講話3」より)

親鸞聖人は信心とは何かということについて『教行信証』「信巻」の別序に それ以みれば、信楽を獲得することは、如来選択の願心より発起す、真心を開闡することは、大聖矜哀の善巧より顕彰せり。 と言っておられます。つまり真実の信心、信楽をいただくとい…

歎異抄十四条について

友人が、歎異抄十四条について、広瀬杲先生の「歎異抄講話3」のところを写真で送ってきた。十四条は読んでも理解しがたく、ここにある金子先生のことばでようやく理解できた。 金子大栄先生が岩波文庫の中でこの十四条をさらっと御領解なさってお述べになっ…

この慈悲始終なし

四 一 慈悲に聖道・浄土のかわりめあり。聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし。浄土の慈悲というは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈大悲心をもって、おもうが…