『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

本山須弥壇収骨にて

昨年10月28日におじいちゃんとおばあちゃんの本山須弥壇収骨に行って来ることができた。嘱託補導をしていたとき、何度となく連れ添った覚えがあって懐かしさと自分が収める感激があった。おじいちゃんもおばあちゃんも喜んでくれると思って自分がうれしい。おそらくこの喜びはみんなと分かち合えるものではない。たいがい、なんでうれしいのかわからないけれどもうれしそうでいいね、ぐらいの感覚なんでないかな。そうなんだ、たまに孤独だ。まあいい。

それで、参拝接待所で須弥壇収骨の手続きの為に小さな入れ物に入れた骨を持って列をついていると、私の後ろの60代半ばの女性がその後ろの60代半ばの女性に声をかけていた。

あなたもご主人の納骨に来られたの?

いいえ、私は母のお骨を納めに来ました。

あらごめんなさい、私つい・・・主人が亡くなってから辛くてどうしょうもなかったけれど、少し落ち着いたの・・・

・・・前向きにね、前向きに

という感じの会話だった。須弥壇収骨をご縁に小さな出会いがあって素敵だなと思った。そして、死に別れた人にかける常套句が「前向きに」という言葉であること、ちょっと発見した気がした。私はいったことがないし、これからもいわないだろうな。