『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

三回忌の法事がありました

釋○○三回忌
今日はみなさんようこそお参りくださいました。
○○さんがお浄土へ還られてから、そろそろ丸二年、
お互いに、昨日のことのようであったり、ずいぶん前のことであったり、
過ぎていった時間があっという間であったり、
まだ失った痛みが残るのが、この三回忌だと思います。
そして、お互いにいろんなことがあったと思います。
昨年、○○さんが亡くなって1月に満中陰(49日法要)が勤まりました。
お隣の○○さんが、○○さんのちょうど2週間前にお浄土へ還りました。
それから…。いままで、おって当たり前やった方が、
誰が参らんでも、参るのを当たり前にしてきてくれた方々が、
少しずついなくなって、本当に悲しいです。
参りに来て、守ってくれたことを、浄土真宗の念仏の教えを
一生懸命伝えていかんなんなと、思います。

先月も法事でお会いして、祠堂ということがはっきりしないね、と話しておりまして、うまく説明出来ないのですけれども、
亡くなった人を縁として、その人がこれまで、参りに来て、守ってくれた、浄土真宗の念仏の教えを聞く場である寺を、これからも教えを聞く場として続けていけるように、
要るものあったら買う、傷んだとこあったらなおす、そういう祠堂だと思います。
お寺によっては毎日祠堂のお勤めがあって、
月参りみたいに祠堂についてくれたかたのお経があがるそうですが、
うちは、3月と10月に祠堂についてくれたかたのお経を勤めています。
といっても、死んだ人の為にお経をあげるんでないのですが、
なんぼそういうことをいうても、
遺されたものはやはり、死んだ者になんかしてやりたいもんで、
お経あげな、タタられたりすることはなくても、
「ああ、いまとうちゃんのお経あげてもらっとる」
という感覚でお互いに安心するということがある。
これは、国や文化を超えた、死者への畏怖ということが背景にあると思います。
そういう私も、本山に祠堂というか、お骨をおさめてきて、
じいちゃんばあちゃんが喜んでおる、お経あげてもろとる、という感覚があります。
ただし、お父さんもお骨をおさめてきましたが、じいちゃんばあちゃんのように喜んでいると、なんか、思えません。(以下略)