『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

正信偈をよもう 復習 <曇鸞>②

<曇鸞の大切な話>正信偈の曇鸞和讃のはじめ
武帝(梁の天子)との出会い、陶隠居(陶弘景)に出会い、仙経(十巻)を授かった。
菩提流支三蔵にであい、仙経を勧めると、菩提流支は道につばを吐いて、
「いのちは長らえても数年、仏教は無量寿をいただく」といい、
観経を渡された。
たちどころに浄土の教えに帰依せられた。

菩提流支 つばを吐いて で検索したらありました↓
http://www.higashihonganji.or.jp/sermon/shoshinge/shoshinge50.html

親鸞聖人は道宣「高僧伝」を読まれて、曇鸞大師を学んだが、道宣は唐の時代の人。隋、唐の時代は末法思想で、在家の人がさとりを開いていく「維摩経」「勝鬘経」が流行った。その後流行ったのが、「観経」だった。曇鸞の時代、「大経」も「観経」も翻訳はされていたが、流行ってはいない。「観経を渡された」というのは、道宣が「観経」が流行った時代の人だからでないか。「浄土論(無量寿経優婆提舎願生偈)」であろうという学説がある。
と、野上俊静先生(中国仏教)はおっしゃっていた。
正信偈をよもう」木越樹師講義より

迷林です。「観経」より「浄土論」のほうがくっつりきますね。曇鸞大師は「浄土論註(浄土論の注釈書)」も書かれてるし。