如来とは一体何であるか
我をして能所転換せしむもの (佐々木月樵 氏)
わしがすると思っていたら、される。
「正信偈をよもう」木越樹師講義より
迷林です。大谷大学のHPにありました↓読みます。・・・
http://www.otani.ac.jp/yomu_page/kotoba/nab3mq0000000ly5.html
これは講義の要の言葉でした。メモしたこと順番に箇条書き、
・親鸞にとって曇鸞は中観・唯識という学派を超えた方。(鈴木大拙も学派を超えた方。)
・唯識は転識得智。
・また佐々木氏は、「I 、my、me の哲学」とおっしゃった。
・如来にであうということは、能所転換、myがmeに転換。私を包んでくれる世界に転換する。
・曇鸞は中観は唯識に進化したといった。世尊我一心。一心の華文(「浄土論」のこと)。
・佐々木月樵 氏は「真宗大谷大学」の「真宗」をけずって無くした。それは真宗を学問として開放するためである。真宗は我々に残されている最後の仏教。能所転換の仏教。