『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

「色は空 空は色との 時 なき 世へ」

今日は坊守会で木越樹先生の講話を聴聞させていただきました。

大切なことを楽しく伝えていただきました。情景が浮かぶような語りにワクワクします。

話の中で、2月に亡くなった市川團十郎さんの書き遺したという句が紹介されました。

「色は空 空は色との 時なき世へ」(しきはくう くうはしきとの ときなきよへ)

「色即是空」、空にかえっていく 何もかもあっという間に変わっていく、海の音が聞こえなくなって、蚊が少なくなって、目印にしていたビルがなくなって、ガソリンスタンドがなくなったかと思うと、あっという間にビルが建ったり。何もかもあっという間に変わっていく、空(真理)にかえっていく

「空即是色」、そのことを色が包んでいる。

忙しくてご飯も食べれぬような生活、

「時なき世へ」、ようやく時の無いお浄土へいける。

こんなところだけ切り取って文章にするのはよくなくて、講義の主題ではないのだけれど、こうやって文章にするまでぼんやりと私は「歎異抄」の言葉を思い返していました。

久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、(久遠の昔から今日まで、限りない流転を続けてきたこの苦悩のふるさとは、どうしても捨てがたく、)

いまだうまれざる安養の浄土はこいしからずそうろう (まだ生まれたことのない永遠の安らぎの世界である阿弥陀の浄土が恋しくも思えないということは、本当によくよく強く盛んな煩悩の身である。)

なごりおしくおもえども、娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり。(しかし、どんなに名残惜しいと思えても、この世の縁がつきて力なく生命の終わるときに、彼の阿弥陀の浄土へ生まれるのです。)(『歎異抄第九条』意訳)

娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり。

色は空、空は色との時(が)、な(無)き世へ。

この句について、少し他の方が書かれているものを探してみました↓

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