『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

念仏を生きた人

2013.4.2.
最近、お兄ちゃんが変な顔で変なことを言った。「夢を見たんだよ、俺がみんなに説教をしているんだ。また“坊主になれ”っていわれるから、いいたくはなかったのだけど。」そういえばなんかくすぐったいみたい顔だった。うれしいでも困ったでもなく。
今日はずっと、五座連続の法話に向けて、煩悩、地獄、念仏、信心のことなど語り合った。18時になって私の方が口も耳も疲れたくらいだった。お腹がグゥとなったのでちょっと中断してお昼の間に作って置いたミートソーススパゲティを食べた。けれども食べながらも話していた。

こんなに驚いたのはいつ以来なのだろう。彼は私のおじいちゃんのことを熱く熱く語った。

本当に疑いなく迷いなく念仏をとなえることができるだろうか。
じいちゃんの存在は自分の人生を揺るがす。すごい人だったとわからないか?
どんなに信じているといっても絶対に疑いのこころがあるもの。じいちゃんの疑いのないこころに驚く。
本当に疑いなく迷いなく何かを信じることは難しい、じいちゃんの念仏は、迷いなき信心。いわば念仏と一体化していた。念仏を生きていた。そう唯念仏だった。
「成仏相」という言葉を聞いたことがある。死んですぐのじいちゃんの顔を見たんだ。死に顔がまるで生きているような穏やかな、ほんのり赤みを帯びたような、満足しきった顔。「成仏相」だった。思わず浄土へ行ったな、と、浄土ってあるんじゃないかとさえ思ったよ。
人間に絶対に唯念仏なんて出来るわけがないんだ。それなのに、じいちゃんは念仏が生活だった。確かにいつも聞いているCDの説教 (50代)を語っている時は、師から聞き繋いだ、真実の行信を自分に言い聞かせるように話して来たのだと思う。
けれど、認知症になって、欲も恥も自分もわからなくなっても、念仏が残るなんて。夜中の2時から4時に「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…」って毎日いうのを俺は聞いていたよ。別に嫌じゃなかった、すごいなって思ってた。死ぬ間際まで、「ありがとう」、「南無阿弥陀仏」「尊いいのちをいただいて深く御礼申し上げたてまつります」「南無阿弥陀仏」、「ありがとう」だぜ、すごい人だったとわからないか?家族だからわからないのかもしれないな。
寺の本堂の前の細い溝にションベンしながら「南無阿弥陀仏」だぜ。俺はゴータマレベルだと思っている。珍獣ともいえる。ド天然だったのかもしれない。とにかく、じいちゃんのことを語りだすと俺は熱くなる。

「尊いいのちをいただいて深く御礼申し上げたてまつります」といっていたけど生への執着じゃない。「どんな死も死は中夭」といっていたけれど中夭じゃない死。
信心のない念仏はあるが、念仏のない信心はないという。「信心の炎が燃え上がったらお念仏は自ずと出てくる」といっていたとおりの念仏だった。じいちゃんを見ていたら、念仏は人間の生きた軌跡なのではないかと思う。

彼は熱く語り続けたので全部は覚えていない。
じいちゃん慶んでるだろうな。そう「寿慶」って名のったんだった。