『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

「わかる、わかった」という障(さわ)り

私の欠点は、「わかって」しまうこと。だからすぐに求めること、あゆみが止まってしまう。
そこに迷っていることに気がつかない、「わかる、わかった」という障(さわ)り。

仏智うたがうつみふかし
  この心おもいしるならば
  くゆるこころをむねとして
  仏智の不思議をたのむべし
『正像末法和讃』23

「悔いるこころ」が起らない。

根本煩悩の「見(邪見)」は、人を疑う。そして自分を信じている。仏智疑惑といっても、念仏一つと決めた人の世界であり、自分を絶対化しているのである。(聞法会にて 2013.3.28.)

煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、
大悲倦きことなく、常に我を照らしたまう、といえり。

五濁悪時の群生海、    如来如実の言を信ずべし。  
よく一念喜愛の心を発すれば、    煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。

ありゃ。