『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

村祭りに参加する

今週末にテニス大会と村祭りがある。娘が毎日練習に参加してきた二つの行事がようやく終わり、送り迎えから解放される。夏休み後半から本当に忙しくてあっという間に10月半ば。そういう感覚は脳ミソが老化してるらしいが、あっという間なのはしょうがないのだ。これがすんだら少しゆっくりといきたいところだけども私の年代では無理なのかもしれないな。報恩講は続き、自坊の法事があり、自坊の永代祠堂経がある。11月に入っても法話に報恩講。不規則なので予定を忘れないかと不安でならない。

さて、私が小さい頃は子どももたくさんいて、祭りの笛吹きや太鼓など男の子だけ出た。笛吹きなどをするとお小遣いがもらえる(「はな」というらしい)。お祭りの日は学校が午後から帰れるのがうらやましかった。そのうち女の子も出るようになったが、「お寺の子」は出てはならないと村の長老たちが決めた。なんやらようわからんけれども、興味もないし、関わりたいと思ったこともなかった。

お獅子は笛吹きや太鼓をしたがえて一軒一軒練り歩く。棒ふりというのがいて獅子と戦う。15年くらい前は寺の境内にも獅子が来ていて、笛を吹いている子どもたちにたくさんの「はな」を包んだ。だんだん子どもがいなくなり、数年前まで獅子舞はなかったのだが、5年くらい前に復活した。今は三か所のお宮さんと各班の班長の家の前で舞う。

娘は村でたった一人の六年生で、笛吹きをしている。今年は三年生が二人いるので指導もしているはずである。たった一人の六年生の親である私は地区主任、保護者会のリーダーみたいな役割をしている。地区主任の仕事の一つに子どもたちが参加する祭りの補佐があるのだと思う。

ということではじめて、獅子のかや(胴体)の修繕をした。いやしている、先週末からこのところ毎日。びっくりするほどつぎはぎだらけで、分厚かったであろう生地が薄くなっている。かやは新調すると安くて200万だそうだ。かやの修繕だけならいいけれど、子どもたちのお世話オードブルの注文や買いだしその他とにかく一手に押しつけられた。私は本当に怒っている。昨年までどうしていたのか、なぜ変えたのか、どうしていったらいいのか、来年の地区主任の為にも改善が必要。

それで、なぜ祭りに関わってはならなかったのか、考えていた。寺の子どもが関わってはならないのはまだわからないけれど、寺はだいたい死に寄り添うような仕事が多い。私は枕経へ行ったら死者に触れる。死を忌み嫌う神事に、死に素手で触れる私が関わっていいはずがない。

地区主任だからと法務に忙しい合間をぬって祭りのお手伝いをしてきた。人がいないのはわかっているけれど来年からはごめんこうむる。