あらゆるいのち生きるものの中で
人間だけが罪の感覚を持つ。
そしてその罪に
苦しむのも人間だけだ。
だがそのことによって
一体人間に何が
求められているのか。
(東本願寺発行『同朋新聞』2013.8より)
余った同朋新聞を片づけていたら言葉が目にとまった。知っている人の言葉のよう。聞きたかった言葉。
2013年8月の『同朋新聞』は殺人事件の被害者遺族 原田正治さんのインタビューが載せられている。
「駅前で死刑廃止制度のビラ配りをしていると、『あなた方は被害者遺族のことを思ったことはないのか』と詰め寄られたのです。その人に『僕は、弟を殺された被害者遺族です』といいました。もっと話したかったのですが、その人は驚いて逃げてしまいました。そういう人ほど、口では立派なことを言っていても、実際に遺族の話、こころからの叫びを聞いてくれたことがないし、手を差し伸べてくれたことがないのです。口ではわかったようなことを言っても、実際には、長谷川君が死刑になろうが、なるまいが、どっちでもいいんです。本当に憎いと思っているわけでもなく、憎しみに苦しめられているわけでもないのに・・・。第三者的な無責任な観点から死刑、死刑、と言っているんです。」