『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

仏の功徳は讃え尽くすことができないほどの

能登教務所から年賀状が届いた。お膝元から来てないのになんだかうれしいな。
『称讃浄土経』の言葉が書かれていた。(『称讃浄土仏摂受経』)


「たとい百千倶胝那由多劫を経て、それ無量百千倶胝那由多の舌をもって、一一の舌の上に無量の声を出(い)だして、その功徳を讃(ほ)めんに、また尽くること能(あた)わじ」と。(『真宗聖典』460頁)


親鸞聖人は、『入出二門偈頌文』を書く前に、この言葉を引用している。
百千倶胝那由多というのは、数限りなく多いことを表わす。たくさんの、なんて一言で終わらせないところに、いかにたくさんかを表現したいねがいが伝わる。
倶胝は億をあらわす梵語那由他は数の多いことを示す、劫は時間の単位。
たとえ 百千億の数限りない 時間を経て、(数限りない時間を経て)
無量百千億の数限りない 舌で、(数限りない舌で)
一つ一つの舌の上に 無量の声を出だして、
その(仏の)功徳を讃えても、尽くすことができない。
訳すといびつになるが、まあこんなことが書いてあるのだろう。


正信偈も同じく偈頌であると習った気がする。
仏の功徳は讃え尽くすことができないけれども、言葉が起こってくる。
だから、「如来大悲の恩徳は身を粉にしても報ずべし」という言葉にもなるんだな。


仏暦も書いてあったよ、仏暦2397年。年賀状に毎年書いてくれていた先輩がいたけど、今年はこの一枚だけ。うれしいな。差出人がわかればお返事だすのに。