『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

不快な弔辞

ある方の弔辞を聞いていた。ひどいな。なんでそんなに私、私っていっているんだろう。「これこれした私にUさんはこうだった。」の連発、ぞっとした。故人を語る時に自分のことの方を多く語る、自己中心的という言葉がしっくりくる。

人のふり見てわがふり直せ

忘れないようにしたい。

 

自慢したいわけではないのだけど、うれしかったことも忘れそうだから覚えているうちに書いておこうと思う。

通夜説法をする機会があるが、毎回弔辞のような話をしてる。

ある時四十九日法要のお斎(おとき、会食)で、親戚一同会したときに、喪主がお通夜の挨拶で「今夜の坊さんの話がよかった」といったことが、いわないほうがよかった、いやあれがよかった、と意見が二つに分かれた。

お通夜で喪主が挨拶をするときは、坊さんは控室にいて何を話されているか知るよしもない。その時初めて喪主の言葉とこころを知った。

喪主は親戚のおじさんたちに「他は良かったがあれだけはいわないほうがよかったと思う」といわれても、動じることがなかった。帰り際車まで送ってくれて「話ししてくれて、うれしかったんだ。」といって目を潤ませた。「不安をかかえながらやっているので、本当にうれしいです。これからもがんばれます。」といって私も泣いた。