天地の文
福沢諭吉
天地日月(てんちじつげつ)。東西南北。きたを背に、南に向かひて右と左を指させば、ひだりは東、みぎはにし。朝は東より、次第にのぼり、暮れはまたにしに没して、夜くらし。一昼一夜(いっちゅういちや)変わりなく、界を分けし、午前午後、前後あわせて二十四時、時をあつめて日を計(かぞ)へ、日かずつもりて、三十の数に満つれば、一ヶ月、大と小にかかはらず、あらまし分けし、四週日(よんしゅうじつ)、一週日の名目は日月火水木金土、一七日(ひとなぬか)に一新し、一年五十二週日、第一月(だいいちげつ)の一日は年立ち回るときなれど、春のはじめはなお遅く、初めて来(きた)る第三月、春夏秋冬、三月(みつき)づつ、合はせて三百六十日、一年一年又一年、百年三万六千日、人生わづか五十年、稚(おさな)きときに怠(おこ)たらば、老いて悔(く)ゆるも甲斐(かい)なかるべし。
この言葉について授業するのとたずねたら、覚えるだけなんだそうだ。
福澤諭吉の「天地の文」は、1873年(明治6年)に出版された『増補 啓蒙手習の文』再版の上巻に収録されたもの。習字手本だったらしい。当時日本に入ってきたばかりの時間、週日など、人の暮らしの基本となる決めごとが、テンポよく言いつくされている。
これ大事なのか?
教科書をみてみると、これは言葉の移り変わりを感じる教材らしい。
少し前は、「雨ニモマケズ」「やまなし」など音読してくれて聞くのが楽しみだった。
私の小さい頃音読の宿題なんてあったかなぁ。