『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

昔の人は仏法を聞いていたから、死んだらお浄土へ行くことに迷いもなかった。

昨日は楽しみにしていた「正信偈をよもう」の講義に参加。

講師の木越樹先生のお話は、私にはいつも斬新で記憶に残り、しかも情景が浮かぶ。

 

金沢大学付属病院麻酔科蘇生科の一室が「がん哲学外来」になる

http://www.asahi.com/articles/DA3S10941710.html

というニュースをとりあげて「いいことやねぇー」とおっしゃった。

麻酔科に哲学が必要になってくる理由を、二河白道の譬えの流れから話された。

 

ガン患者は死んだらどこへ行くのか考えると、不安で眠れない夜もあるという。そんな問題を皆かかえている。

私は、考えて眠れないことはいっぺんもない。寝る前に(酒)飲んでぐーっと寝る。

このままで死んでいっていいか、大満足して生きているかどうか。大満足して死んでいく人はいない。もうちょっとああすれば、ということばかり。そういう中で西(浄土)に向かっていかんと欲する、志をたてるかどうか。

現代は嫌なもんはみえんようにみえんようになっているのに、いざという時は哲学をひっぱりださねばならなくなる。

昔の人は仏法を聞いていたから、死んだらお浄土へ行くんだと。お浄土へ行くことに迷いもなかった。私の先輩たちはお酒を飲むと「どどいつ」を歌った。「くしゃくしれん(九尺四辺?)のあばらやなれど、これが浄土の屋根つづき」だったか。飲みながらでも仏法を聞いていた。

 

「どどいつ」、私のじいちゃんも、隣の寺の住職もうたっていたと聞いたことがある。きっとそれは口伝で、坊主に限らず、酒で陽気になった飲兵衛たちがうたったに違いない。

ちょっと調べたら「都々逸」と書くようで、じいちゃんがよくいってた言葉があった。「おまえ百までわしゃ九十九まで、とーもーにー白髪のはえるまで」

あれもそうなのか、「西方弥陀の浄土からなんとかの鳥が飛んできて私の胸でほうと鳴きます」