『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

苦しみがなくなることは

苦しみがなくなることは

その苦しみを

生かしていくことができるということ

【蓬茨祖運】


今日は雨模様、といっても降りそうだけど降らずに過ぎた。

ゴミ出しに行って、お寺の掲示板に目がとまる。ずっと前に住職が貼ったものなので紙が劣化している。みんな何を思ってこの言葉を見てくれたかな。

苦悩は、見方や考え方を変えれば、苦しみではなくなる、という言葉ではなく、

苦しみこそが私の本体だった。

悲しみや苦しみが見えないような生活をしているが、

苦しみこそが私の本体だった。

そこを生きるということなのだと思う。

苦しいことから逃げるのではなく足をつける。

とはいえ、言葉足らずだな。いらいら。

蓬茨祖運さんは石川県の方で、真宗大谷派の近代教学の礎を築いた曽我量深・金子大榮・安田理深と名を連ねる大先生。3名の先生に比べると本を読むことが少ないのだけど、平野修先生の先生だった方。

http://www.bunkyo.ac.jp/faculty/lib/klib/nenpo/la02/la0217.pdf 

(上記HPより)曽我量深の系列、暁烏敏の系列、金子大栄の系列という三つの系列に便宜上分けて下記の順とします。 清沢満之―曽我量深―安田理深―本多弘之、暁烏敏―高光大船―藤原鉄乗、金子大栄―広瀬杲、信国淳、蓬茨祖運平野修。曽我量深はどの人物とも関係があります。

ほう、文教大学にこんなこと学んでいる人がいるのか。谷大じゃないから書ける部分もあるのかもしれないな。

(上記HPより)『鬼神からの解放』(平野修)なんて一般の書店で注文して
も入手できないと思います。

そうなのかい?上下あるのだよ。大谷派のお寺ならどこにでもあるんじゃないか?

この論文には、たくさん先達の本が書かれている。これもこれもみたことあるなと思う。平野修選集 全17巻をはじめ平野先生の本は私の所有するものが多いけれど、他はおじいちゃんが残したもの。蓬茨祖運選集もある。大事にしなきゃな。