お散歩道草 osanpomichikusa 

-続迷林遊林航海記

速やかに寂静無為の楽(みやこ)に入ることは、必ず信心をもって能入とす、信心一つで楽になれる世界。

正信偈をよもう」源空章、聞き書きその一

木越樹先生の講義をもう少し丁寧にまとめておきたい。聞いたことなので書ききれなかったことも多い。自分にわかるよう言葉を少し足す。太字は真宗聖典の言葉。

 

議題は、「正信偈をよもう」源空章 

真宗聖典p207「生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。」から最後まで

 

生死輪転の家に還来ることは、    決するに疑情をもって所止とす。
さっき皆で正信偈勤めた。わからんが、あんでいい。ありがたいといえたらいい。いえん(いえない)というのは、「疑情をもって所止とす。」ということ。考える、はからう、納得する。

自分で納得できんことは信じられんが、納得してだまされている。

南無阿弥陀仏、考えるな。

いつまでたってもすかっとせん。納得できない。

速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とす、

この源空章であるが、源空上人(法然上人)の書かれた『選択集』は膨大で、善導大師の言葉がたくさん書かれている。

その中に三心章「至誠心、深心、回向発願心」

(どこに書いてあるか知っとる?)観経の上品上生(112p)に書かれている。

深心は深く信ずる心。二つある。

自身は現に是れ最悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた常にしずみ、常に流転して、出離(しゅっり)の縁有ること無しと深心す。【機の深信】

二つには決定して、彼の阿弥陀仏四十八願をもて衆生を摂受したまう。疑無く慮り無く彼の願力に乗ずれば定んで往生を得と深心す。【法の深信】

善導の言葉に二河白道の喩がある(219p)

人ありて西に向かいて行(ゆ)かんと欲(ほつ)するに百千の里ならん、忽然(こつねん)として中路に二つの河あり。

火の河、水の河、おのおの深くして底なし、南北辺(ほとり)なし。

正(まさ)しく水火の中間(ちゅうげん)に、一つの白道(びゃくどう)あり、

闊(ひろ)さ四五この道、東の岸より西の岸に至るに、また長さ百歩、その水の波浪(はろう)交わり過ぎて道を湿(うるお)す。その火焰(かえん)また来(きた)りて道を焼く。水火あい交わりて常にして休息(くそく)なけん。

多く群賊悪獣(ぐんぞくあくじゅう)ありて、この人の単独なるを見て、競(きそ)い来(きた)りてこの人を殺さんと欲(ほつ)す。・・・

いろんな悩みがある。

四高の時に自殺が流行った。「自殺してはならない」と、哲学者がいのちの大切さを説くのだか、伝わらない。

この中に自殺したいと思ったことはいっぺんもないという人はいますか?そう、みんな、死にたいと思うことは人生の中で一度や二度はある。

生きているということはどういうことか。

どこから生まれてどこにいくのか。

藤村操は華厳の滝に飛び込んだ。

(二河白道の譬えは)人のいのちは西に向かっていかんと欲している。西は浄土。これは信心。

「百千の里」というのは遠くて見えないということ。浄土に向かって行こうとするが、遠くて見えない。

そこに白道があり、火・水の河があり、群賊悪獣が追っかけてくる。三定死といって、いっても、もどっても留まっても死ぬ。

金沢大学付属病院麻酔科蘇生科の一室が「がん哲学外来」になる。いいことやねぇー。

ガン患者は死んだらどこへ行くのか考えると、不安で眠れない夜もあるという。そんな問題を皆かかえている。
私は、考えて眠れないことはいっぺんもない。寝る前に(酒)飲んでぐーっと寝る。
このままで死んでいっていいか、大満足して生きているかどうか。満足して死んでいく人はいない。もうちょっとああすれば、ということばかり。そういう中で西(浄土)に向かっていかんと欲する、志をたてるかどうか。
現代は嫌なもんはみえんようにみえんようになっているのに、いざという時は哲学をひっぱりださねばならなくなる。
昔の人は仏法を聞いていたから、死んだらお浄土へ行くんだと。お浄土へ行くことに迷いもなかった。私の先輩たちはお酒を飲むと「どどいつ」を歌った。「くしゃくしれん(九尺四辺?)のあばらやなれど、これが浄土の屋根つづき」だったか。飲みながらでも仏法を聞いていた。

三心章の結論、生死の家の疑情所止。生きたり死んだり、疑いを持っていると、これを離れることなし。離れたいときはこれを捨てる。

涅槃の城には信を持って能入とす。楽とかいて(みやこ)と読む。信心一つで楽になれる世界。

疑情を断ち切れ、寂静無為の楽(みやこ)。善導大師や法然上人おっしゃる。「選択集」には涅槃寂静の城と書かれる。

無為というのは、有為の反対。有為というのは欲ばっかり、ああなったらいいとか。

(続く)

大きなお世話かもしれないが、「四高」について、ウィキペディアより

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E5%9B%9B%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1_(%E6%97%A7%E5%88%B6)

1886年帝国大学令により、北海道・沖縄県を除く全国を5区に分割しそれぞれに高等中学校を設置することが定められたが、このうち新潟・富山・石川・福井の北陸4県からなる「第4区」では、金沢に石川県専門学校(その前身は加賀藩の藩校明倫堂および維新後に設立された金沢中学校)を母体とする高等中学校が置かれることとなり、東京の旧制一高、京都の三高に次いで第四高等中学校の設立となった(開校に際し旧藩主前田家が7万8千円を寄附した)。

ちなみに「第二高等学校」(旧制)東北大学教養部の前身。

4番目にたてられた国立の大学なのかと思っていたら、「第4区」だった。キャシーンにでてくるみたいな響きだな。一高は東京大学、三高は京都大学、四高(しこう)は金沢大学の前身。