『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

親しんでいるお経はいつ中国語に訳されたか

真宗聖典からの情報では三経一論は、

仏説無量寿経』  曹魏天竺 三蔵 康僧鎧(こうそうがい) 訳す

仏説観無量寿経』 宋の元嘉中に  畺良耶舎(きょうりょうやしゃ) 訳す

仏説阿弥陀経』 姚秦の三蔵法師 鳩摩羅什 詔を奉(うけたまわ)りて 訳す

無量寿経優婆提舎願生偈(浄土論)』 後魏 菩提留支 訳す(常楽寺蔵存覚写本)

 

ウィキペディアを参考にして時代順に並べると、

『大経』魏(ぎ、拼音:Wèi、220年 - 265年)は、中国の三国時代華北を支配した王朝。日本で魏は卑弥呼を記述した「魏志倭人伝」で知られる。

阿弥陀経後秦(こうしん、384年 - 417年)は、中国の五胡十六国時代羌族の族長姚萇によって 建てられた国。姚秦(ようしん)とも呼ばれる。

『観経』元嘉とは424年に即位した文帝が452年まで採用した元号である。

『浄土論』北魏(ほくぎ、拼音:Bĕiwèi、386年 - 534年)は、中国の南北朝時代鮮卑族の拓跋氏によって建てられた国。三国時代の魏は曹氏が建てたことからこれを曹魏と呼ぶのに対して、拓跋氏の魏はその漢風姓である元氏からとって元魏(げんぎ)と呼ぶこともある。さらに国号の由来から、曹魏のことを前魏、元魏のことを後魏(こうぎ)と呼ぶこともある。

菩提流支(ぼだいるし)は、北インド出身の僧。北魏の都、洛陽で訳経に従事。大乗の経論を30部余り翻訳する。 - 527年

ついでに曇鸞(どんらん)は、中国南北朝時代の僧である。中国浄土教の開祖とされる。476年 - 542年7月7日(不詳) 

 

ふと、菩提流支が曇鸞大師に授けた楽邦に帰する教えをおもう。曇鸞50歳の時なんだって!526年のことだ。ある先生が『観経』が定説だけれども、その時代は『観経』ブームは終わっているんだ、『浄土論』ではないかと思っていると話された。菩提流支が訳してもいるんだし、『浄土論』だよな。しかも曇鸞、『浄土論註』書いてるし。

三国志」で遊んでいるので「魏」って言葉にはときめく。

『論註(無量寿経優婆提舎願生偈註)』の勉強会を中断してからそろそろちょうど12年になる。