『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

ひどーなった話、ものーなった話。

お講で話したこと一部

「すっぽんぞうすい」を食べて、本当に次の日肌がつやつやするのかなぁ。と思いながら寝ましたが、夜更かししたんですけれども、つやつやです。すごいもんやねぇ。
けど、つやつやになるからもう一回食べようといわれても、もうこりごり。
スッポンの悪夢を見たわけではないのだけど、わだかまりみたいなものを胃だか心だか胸だかわからないけど抱えてる。
なんでかな、魚や、鶏、牛にこれほどまでの拒否反応が無い。鶏は絞めて殺すのだとか、とさつの話を聞けばひどーなるけれど、いつの間にかけろっとしてばくばく食べている。そんなこと思いながら今日お勤めをしていましたらね、わかったわ、これや。なんかわかるけ?「鶴亀の燭台。」阿弥陀さんに向かってお勤めする時にいつも鶴亀が置いてある。私にとっては亀はとても身近で、スッポンは亀みたいもんで、亀を食べるなんて罰当たり、なんて感覚に違いない。
昨日小学校で非行被害防止講座というのがあってね、話を聞いてきた。
養豚場じゃなくて、農業高校で経験した、豚の出産の話を聞きました。豚は一度に何匹生まれるか、5匹か6匹か、10匹か、11匹か、12匹か、13匹か、14匹か。私が立ち会った時は13匹生まれました。正解は12匹前後、豚の乳は12あります。豚は生まれてからへその緒の長さ分もたもたと歩いて乳を探す。そして順番に乳にたどり着く。だから自然界では13番目に生まれた豚は生きていけない。そこではその豚は他のお母さん豚に育ててもらうことになりました。そこまではいいのですが、高校生は豚が生まれると先ずへその緒を切る。短すぎるとお腹からばい菌が入り死んでしまうこともあり、長すぎると首に絡まって死んでしまうことがあるからちょうどいい長さで切る。それから生まれた豚には歯が生えているので母豚の乳を傷つけないようその歯をとる。そして尻尾を切る。他の豚の首に絡まって死んでしまうことを防ぐためなのである。現場にいる方たちには必要な作業なのかもしれないけれど、私は「豚痛いやろな」と思ったら胸のあたりがものーくなりました。

ところが、どこの国だったか忘れましたが、ある国の畜産に対する研究データで、こうしたストレスを与えた豚はおいしくないのだということがわかって、そういうことをやめようということになったそうです。
それでもやっぱり胸のあたりがものーくなりました。

どちらにしても食べる人間の都合なんですね。聞いとってひどーなった。ところが悲しいことに、ここは生徒も親もくいついて興味深々で聞く。ひどなっとる私も一緒です。
親鸞聖人は「如来大悲」と、如来に悲しまれる、悲しみの存在として人間を言いあてた。本当になんて悲しい存在なんだろう。そもそも生き物の命を奪って生きる。そのことすら見えなくなって、量産を目指し、果てはおいしいものにしようとする。
私はエサ一度もあげず毛一本抜かず食べるだけ、残して捨てることさえある。
そんなことを考えながら、聞いとってひどーなったと、いいつつ、
夕方には忘れて、「かたばみ」ですっぽん雑炊を食べようと一大決心したのだった。

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お馴染、真宗大谷派(お東)の燭台、鶴亀(つるかめ)の燭台。これは「阿(あ)の鶴」。逆向きの「吽(うん)の鶴」(口がしまっている)もあるのでご購入やお荘厳(お飾り)の時は気をつけましょう。