『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

蓮如忌にむけて

3月8日に蓮如忌の法話を依頼されたので講題をメールした。

講題:たとい罪業は深重なりともかならず弥陀如来はすくいましますべし(御文「末代無智」)

-聞き慣れている蓮如上人の御文(おふみ)の言葉、すくわれるのは誰か。私はすくわれたいか。

 

本願寺八代住職蓮如上人は、「再興の祖」ともいわれ、功績が多い。おばあちゃんのお母さんくらいの時代は今よりもっと蓮如上人の言葉も存在も身近だったのかもしれないが、今では月参りのしめに御文を読む程度。つい親鸞聖人の方が大事に思えてしまう。

蓮如上人五百回御遠忌があった1998(平成10)年以来、まともに勉強してないかもしれない。

その御遠忌は「慙愧の御遠忌」という言葉が大事にされた。御文は五帖目五通「信心獲得」、「信心獲得すというは、第十八の願をこころうるなり。この願をこころうるというは、南無阿弥陀仏のすがたをこころうるなり。」

「御遠忌を勤めるということはやった終わったよかった。というものでなく、次の御遠忌に向けての歩みが始まる」なんてのも印象的。

いい機会だからふりかえってみよう。御遠忌以来歩んでいるとはとても言えないけれど。