『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

朝6:22の電話

6:22電話がなった。「ついに・・・。」と思ったが少し寝ボケて「ご、午前中に行きます。」と言った。30分以内には行ったのだが。

前から容態が悪くなったことを聞いていた。電話がなるたび構えたが、決して亡くなることを待っていたわけではない。最近は気にしないようにしていた。しかし、朝6時の電話となるとそうも言っていられない。

長い闘病生活だったと聞く。ご本人も大変だっただろうけど、ご家族も有縁の方も大変だったに違いない。

朝お参りしてから、お葬式の日を決めた。金沢の葬儀社の時、斎場の関係で、(ときいているが、)お葬式もお通夜の時間も勝手に決められて激怒したことがある。村の50回忌法要に重なったから。私の住んでいるところの葬儀社はまず寺に日をうかがう。とはいえ、うちはそんなに忙しい寺でないので、ご家族の方の希望にあわせることが多いのだけど。

今日は仮通夜、明日はお通夜、24日にお葬式。枕経から帰って法名や棺書を書いたり、月参りに行ったり、来客があったり、テニスを送り迎えしたりといろいろあった。何よりも困ったのは院号法名を書くこと。私は字が下手で、いつもは母が書くのだけど、旅行へ旅立ったばかり。ゆえにがんばって書かねばならない。息をとめて一生懸命書いていたら、佐川急便が来て、汚れて書き直し。これはよくない、気に入らない、などで2時間はかかった。

亡くなってからお葬式・初七日まではご家族にとっても正念場。役に立てるようがんばりたい。