『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

剃刀の儀

剃刀の儀(帰敬式の言葉)

流転三界中 

恩愛不能断

棄恩入無為

真実報恩者

明日は、生前に帰敬式を受けていなかった方のお葬式なので、式の前に「剃刀の儀」すなわち帰敬式をする。あまりないことで、私は一度だけしたことがある。

「歳がいっているのに、おかみそりをうけていないことが恥ずかしい。」といわれるご家族がおられる時は、納棺のお勤めの時にする場合もある。

それで、どうされるか、うかがおうかと思ってもみたが、やはりよほどの事情やご希望がない限り住職にやってもらったほうがよかろうと、いうことになった。

昨夜「剃刀の儀」の言葉を、いろいろ調べたのだが、見つからなかった。真宗聖典はもちろん、聖教全書もみたのだけど。明日、月曜日本山の式務で聞こうと思う。

住職の持っているお葬式の勤行集をみせてもらって、言葉を確認した。そこには、父の書き込みがあった。失った人の字は愛しいもんである。

其佛本願力

聞名欲往生

皆必到彼国

自致不退転

誰かに習ったことがあるのだが、思い出せない。

 

追記 式務に電話した。迷惑だろうと思いつつ、そこにしか頼れない。完璧なお返事だった本当にうれしかった。

まず「剃刀の儀」の言葉は、真宗聖典聖教全書にはのっていない。中国の儀式の教科書に帰敬式の時の言葉としてのっている。儀式の教科書は「しょきょうようしゅう」などがあり、得度を受ける時の言葉もここに書かれている。

日本の仏教は古来この中国の儀式の教科書を参考に儀式をしてきた。天台宗も同様の儀式を行う。

真宗大谷派もそれまでの流れをうけて、現代の儀式がある。それは自然な流れで、一派が儀式をいきなり発明したりしないのである。

と教わった。

父のメモの言葉は

其佛本願力 聞名欲往生 皆悉到彼國 自致不退轉

無量寿経下巻の東方偈の言葉だった。これがわからなかったのは恥ずかしい。

わかりやすくおしえていただいて満足した。電話をきいていた遊林が「おたくだ!」と日頃自分が言われている言葉を言い返した。

遊林です。

迷林があまりにもうれしそうに「そうなんですか~!」とか「へぇ~」とか言うので思わずひいた。