『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

「梵天勧請」

明日の法話の原稿を作っています。

 

さて、昨年は自己紹介ばっかりしていましたので、
今回はほどほどにしようと思っていますが、
私は最近柴犬を買いました。大金はたいて買いました。
最近は家の中でも飼えるちんこい犬が流行っています。
しかし、私は山でわらびやぜんまいやタラの芽をとる時、タケノコを掘る時、犬と一緒に駆け回りたい。畑に一緒に行きたい。
柴犬を飼うのは、日頃衝突してばかり(亥年同士)の母の夢でもありました。
あの、柴犬というのはとってもきかんくて、おにいちゃんと
このところ毎日「一番偉いものは俺だ」の争いをしています。
だんなさまは穏やかなので、この争いには交りません。


買ってきたのは私ですので、名前をつけました。「梵天
皆さんは「梵天勧請」という言葉をご存知でしょうか。

お釈迦さまは6年間の苦行を経て、菩提樹の樹の下で覚りを得た。35歳の12月8日満月の夜の明け方。仏陀になった。
1.ブッダガヤー菩提樹のもとで、正覚に到達して、そのまま七日間端坐して動かず、三昧にはいって解脱の喜びを味わいつつ坐していた。
2.七日を過ぎたのち、その三昧から起ち、程遠からぬ無花果(いちじく)の樹のもとでまた七日間の座禅三昧に入った。
3.第二の七日間を過ごすとまたそこを去って、チムリンダという樹のもとに行き、
そのもとで結跏趺坐して七日間解脱の楽を受けつつ坐していた。
4.そこからまたラージャーヤタナという樹のもとへ行き、同じく座禅三昧のうちに第四の七日間を過ごした。【四週間】

しかし、最後に先に座禅した無花果(いちじく)の樹にもどって静かに黙想に入った時、仏陀は絶望の深淵に落ち込んでいった。アジャパーラニグローダ樹の一週間。それはみずからの正覚の意味を人々に説き明かそうとすることについての絶望であった。【絶望の一週間】
この説法不可能という絶望感が仏陀の胸にきざしてきたことをしった娑婆世界の主である梵天という神が、仏陀の前に現れて説法を勧請(かんじょう)した。
仏陀はなおも説法に踏み切ろうとしなかったが、梵天の再三再四におよぶ勧請に動かされて、ついに説法に立ち上がったと伝えられている。
(参考:『大乗の仏道―仏教概説』東本願寺)
梵天の呼びかけがなかったら、仏教はなかったかもしれない。
仏教が「誰も理解できないだろうというという絶望」に始まる。
梵天勧請によって、かつて苦行を共にした五人の仲間に六鹿苑(ろくやおん)で説法が行なわれた。絶望のあとのそれは輪が坂を転がるような勢いがあったのだろう。
私は何を呼びかけられるのだろうか。
柴犬は体力があるので一時間は散歩せんなんらしいので、
たくさん考えることできるね。

(5/15に注射をしたら、免疫がつくまで3週間、その後に散歩出来るそうです。今はだっこでプレ散歩しかできません。こっそり御堂を走り回っています。まだ「おいで」ができませんが「おすわり」はもう完璧です。たくさん考える時間はこれから。)

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梵天より偉いのが、ウサギのモコちゃん。寂しがって鳴くので迷惑をかけていますが、あまり動じていません。当然吠えられたりしてません。梵天は噛んだらひどく叱られますが、モコちゃんは叱られません。ウサギの歯は押しピンみたいで痛い。 

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