『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

世尊、我、宿(むかし)何の罪ありてか、この悪子を生ずる。『観無量寿経』

さて、最近見なくなりましたが、情報番組で「大塚家具」の騒動を目にしたことがあります。創業者で会長の父親と社長である長女が経営方針などを巡って対立していた。父親が「数人悪い子どもを作った」と話していたのを皆さんも見たことがあると思います。あれをみる度に、観経の言葉を思いました、

観経の中の言葉、「世尊、我、宿(むかし)何の罪ありてか、この悪子を生ずる。」

 「観無量寿経」の最初の部分には、王舎城の物語が出てきます。

インドのマガダ国に、ビンバシャラという王さまと、イダイケという王妃がいて、その間に一人息子のアジャセがいました。そのアジャセがクーデター(反逆)を起こし、王であるお父さんを牢獄につないで自分が王様になります。そしてお母さんも殺そうとします。しかし家臣に止められて殺すことを止め、お母さんも牢獄につなぎます。非常に仲が良く、順調にいっているように見えた家族が、そういう形で息子さんの反逆によって崩壊していく事件が、題材としてお経に取り扱われています。

   『観無量寿経の教え 仏とのであい』四衢亮 より

 

最初の言葉に戻ると、葦提希夫人(イダイケぶにん)は「わたしがなにしたっていうげんて!」というのですが、振り返ってみると、私たちの生活の中でもありますね。

「なんで私ばっかりこんな辛い目にあわんなん。」

けれども多くの場合自分の都合の悪いことは忘れている。だいたい、あっりゃあの時のことや、私が悪いげんや、とおもとったら、「わたしがなにしたっていうげんて、なんで私ばっかり」にならんね。

 

自分が良いとおもとるから苦しい

めんどなもんやとおもとれば腹もたたん (荒木範夫師)

荒木さんの言葉の方を法語にすればよかったかなぁ。