『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

私の報恩講シーズン

報恩講シーズンがスタートしました。

本山の東本願寺では親鸞聖人の祥月命日の11月21日から28日に報恩講が勤まります。本山から近い地区は(何里だったか忘れました)本山の報恩講に参勤しなければならなかったので、石川県でも金沢教区は報恩講引上会(いんじょうえ)といって本山の報恩講以前に自坊の報恩講を行います。能登教区は11月28日に勤めているお寺を目にしたことがあります。

当寺は20カ寺程度お付き合いがあり、お参りに行ったり、来ていただいたりしています。ということで、6月半ばから11月半ばまで、20カ寺の報恩講が(日にちがかぶらないように)勤まるのですが、早々に私が式事(座配)をするお寺と、自坊の報恩講が終わりました。ほっ。

今年は暑くてしんどかった。病気がストレスからくるものだとすれば、2つの寺の報恩講は大いに悩みの種だったと思う。皆様のお陰で無事勤めることができたというか、むしろ今年も大成功だった。昨年10月式事を勤めた結願のお勤めが大失敗した。失敗理由をずっと考え続けた日々だった。心の工夫が間に合わず、悲しくて悔しくて泣いたし、偉い助音さんたちに(普段は威厳があって怖くてちかづけないけれど)頭を下げ身を正して「失礼とは存じますけれども」と質問を申し上げた、「巡讃の最中に助音さんがでかい声で咳払いをすることが多々あるのだけど、座配をするものにとっては巡讃の方に大変申し訳なく、助音の方はずっと声を出していてその間に咳払いをしようとおもう気持ちはわからないでもないけれど、やはりおかしいと思うのだけどどう思われますか。」とか、「無役でお願いします」と先輩たちが言うので真似て私が言うと、「無役というのはおかしい」という方がいて、こちらのご住職も今日「無役」とおっしゃったのだけど、どういうのがよいのでしょうか。とか、式事が型のごとくの次第を申したのに、「(長くなるから)伽陀三章にしましょう」と助音のお一人の方がおっしゃるのですけど・・・とか、とにかく神経すり減らしてもはっきりさせたいことがあった。私は自分が正しいと思っているからいちいち言われたことに対して腹が立つのだけど、もちろん言われるたびに教えていただいたことにお礼の言葉を申し上げてきたけれど、昨年10月式事を勤めた結願のお勤めが大失敗したのはこの助音のお一人が、、、辛くて書けません。

報恩講の準備(離れの法中部屋のお掃除)をしていたら座布団入れにモリアオガエルがひっついていました。手でつかんで逃がします。

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この前逃がしてあげたやつかな。入ってきて出れなくなったらミイラになるよ。

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大きな行事を終えて久しぶりのお休み。雨はきらいじゃない、庭のモミジタムケがきれい。下の方があまりないのが残念。

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