『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

一病息災=病気もなく健康な人よりも、一つぐらい持病があるほうが 健康に気を配り、かえって長生きするということ。

「一病息災」とはうまいこといったもので、病気の今の方が規則正しい生活を送っている。夜は12時に寝る。朝は8時半には起きる。三食食べるようにして、お昼寝はしない。あれこれやろうとしても出来ないので、しなければならないことだけを一生懸命やる、すると忘れ物が少なくなった。あれなんだっけが、ちゃんと思いだせるのである。なぜか緊張しなくなった。巡讃といって、ソロで一句声を出さねばならない仕事も20年緊張し続けていたのに、ドキドキしないで声が出せる。なんなんだ。ま、結構なことで。「お前ずっと病気の方がいいんじゃないか」といわれて笑ってしまった。今日は久しぶりのオフだからゆっくり家で過ごす。夕食の準備、キュウリの酢の物、ズッキーニなど夏野菜の炒め物、キュウリの煮物をすでに作った。我ながらすばらしい。ずっと酔っ払っているような状態なので、車の運転は後から見ると飲酒運転のようらしく、よほどの用がない限り運転はしないようにしている。したがってスーパーに買い物に行くこともできない、ので連れて行ってもらって数日分計画を立てて買ってきた。月曜から金曜の日中に仕事をしているママたちにとっては当たり前のことなんだけど。

ある時、缶チューハイを飲んだらすっと、ずっとひっぱられているのが止まったように感じた。「ふらふらたす、ふらふらは、NOふらふら。」と言って喜んだが、座っている状態であって、歩くとまた引っ張られている感じでふらふらした。ま、ゆっくり歩けばいいのだ。僧侶だから、がさがさ、ぱっぱと動くまわる必要はない。むしろ摺り足でそっと移動するのが美しくさえある。声は健在。人の音に合わすことができなくなったらがっかり度が上がるが、これは異常なしで、月参りなどピンでお参りする時はむしろ丁寧にやっているように思う。ずっと丁寧にやってきたのではあるが。

緊張しなくなってもう一ついいことは、筆を持つ時にためらいが無くなったこと。ためらったってにわかに練習したって下手なものは下手なのに、少しでも上手く書きたくて何回も書いたりしていたが、あきらめがついたようで、さーっと書く。「おみがき 八月二十日八時半より どうぞよろしくお願いします」杉原にでかでか書く。助音さんとご講師に法礼を包むのは、慌てて用意することができないので、前日に「○○寺様 御法礼 ○○寺」と、書き、銀行でかえてきたまっすぐな札を数えて包む。ためらわず書く。下手でも気にしない、というかベストを尽くしている。

良性発作性頭位めまい症」の小冊子に以下の様に書かれていた。

こわがりすぎないことが大切です。

良性発作性頭位めまい症はいちばん多いめまいですが、いちばん治りやすいめまいでもあります。にもかかわらず、めまいに対する恐怖心がストレスとなって、めまいが起きないように自分の生活を自分で制限してしまう人が少なくありません。

 良性良性発作性頭位めまい症は適切な指導により「慣れ」ることができれば症状が軽快する疾患です。めまいへの恐怖で生活に支障をきたしてしまう前に、医師の診察を受けるようにしてください。