『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

(寺院について親鸞聖人は)一般の民家よりも少し高い屋根にした道場形式の建物にするべきとあるとされており、通仏教にみられるような造寺造塔(寺を作ったり塔を作ったりすること)は、弥陀の本願にはない行いであると、厳しく批判している。「真宗の儀式」東本願寺出版部発行より

よし、お講(おこう)の原稿出来たぞ。このブログのお陰。アップする時間もある。遊林が選曲したBGMのお陰でのっているのかも。

 

皆さま、報恩講時分はお世話になりました。ありがとうございました。お陰で今年も無事勤めることができました。

さて、互いに耳慣れた言葉であります、 

それ、人間の浮生(ふしょう)なる相(そう)をつらつら観(かん)ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終(しちゅうじゅう、始めから中、終わりまで)、まぼろしのごとくなる一期(生涯)なり。

(かっこ内)はまた勝手に迷林が書きました。

蓮如上人のお手紙である「御文」の五帖目16通は、荼毘にふした後の還骨勤行時に読まれる「白骨」の御文。この言葉は蓮如さんの専売特許でなくて、その時代に流行っていた感覚で、後鳥羽上皇の言葉だと聞いたことがあります。偉い人が言って、人々に感覚が定着した。したがって、その時代の方々は、「浮生なる相(すがた)」自分の生きざまを、水草が水に浮いているような、根のない生き方をしているという感覚に深くうなずいたのかもしれません。

現代でも度々、自身を「浮草だ」という人間感が聞かれます。先ほども申しましたが、真宗大谷派ではお葬式の度に耳にする言葉ですから、留まって考える方も大勢いらっしゃるのだと思います。

私自身も「浮生なる相」、水に浮かぶ草のように、地に足をつけていないもの、「私、そうだ。」と、考えたら怖くて怖くていてもたってもいられなかったことがあります。「立っていない」ことを知らされるのは苦しいことなのだと思います。 やっていることに意義を感じることができずにやるのも辛いことです。だからやっていることのひとつひとつ、例えば、月参りだとか、祠堂だとか、報恩講だとか、儀式作法とか、意義を探して聞いて実行して、時に伝えて来ました。

けれど、心には度々「こんなことをしていて、親鸞聖人が喜ぶはずがない」と感じていました。親鸞聖人は「弟子一人(いちにん)ももたず」とおっしゃった方ですから、教える人と、聴く人を育てる今日のような教団を必要としていたかは疑問です。儀式については、親鸞聖人以降、八代蓮如さんの代の次、実如上人の時代に「門跡寺院(もんぜきじいん)」として認められたと学んだことがあります。東本願寺に行くことがあったら、御影堂に、歴代の「ごもんしゅ」(御門主、御門首)の御絵像が一覧になっているものがありますので、みてみてください。上からギザギザに数えて8番目の方から赤い衣をつけていらっしゃいます。それが実如上人です。

ちなみに、一番目の黒い衣の方は(孫の)如信上人、二番目の黒い衣の方は本願寺三代目の覚如上人(こちらもお孫さん)、有名人です。

親鸞聖人没後10年を経た文久九年(1272年)に建立された大谷廟堂(お墓)を、覚如上人が寺院化し、「本願寺」と名のった。

覚如上人は親鸞聖人が寺院について次のように語られたと記録している。すなわち、

「ただ道場をばすこし人屋に差別あらせて、小棟をあげてつくるべきよしまで御諷諫(フウ・フ)(カン・ケン いさめ)ありけり」とあるように、一般の民家よりも少し高い屋根にした道場形式の建物にするべきとあるとされており、通仏教にみられるような造寺造塔(寺を作ったり塔を作ったりすること)は、弥陀の本願にはない行いであると、厳しく批判している。

参考:「真宗の儀式」東本願寺出版部発行

 

真宗の儀式―声明作法

真宗の儀式―声明作法

 

教科書に書いてあることなので、真宗大谷派の多くの僧侶は知っていること。本願寺というスタートから、矛盾を抱えている。真面目にやればやるほど、虚しくなるのが、真宗大谷派かもしれない。

実は、5月の半ばから、めまいが続いていまして、「良性発作性頭位めまい症」と言われています。目がまわるというか、なんだかふわふわしている、お酒を飲んで酔っ払っているようです。ずっとひっぱられている感で、足元ふらふら、話す言葉に不安を感じる時もあります。「良性発作性頭位めまい症」というのは、頭を動かすことで、耳の中の三半規管の中の結石が移動してめまいが起こるようです。結石が、半規管内の一番低い位置で停止するとめまいは治るようですが、はがれた耳石が半規管内に沈着することも、めまいの原因となります。半規管内にカスがひっついとったらだめなんかもしれません。もっともなりやすいめまいで、もっとも治りやすいめまいでもあるということですが、お医者さんは、ストレスとうつ病を心配していました。「良性発作性頭位めまい症」はストレスが原因もであると考えられているようです。

私は差別問題のスタッフをしていますので、いろんな差別を学ぶ機会があります。部落差別問題、ハンセン病の問題、在日朝鮮人への差別の問題、自民党憲法改正案も弱い人が切り捨てられる、体制の下敷きになるような、差別をはらんだ改正案であることを学んでいます。2か月前、5月には「下寺問題」の研修会がありました。私たちにはあまり聴きなれない言葉ですが、先ほど、心の中では度々「こんなことをしていて、親鸞聖人が喜ぶはずがない」と感じていることをお話しましたが、「下寺問題」と根を一つにした、差別性を持つ制度や儀式を、我々は受け継ぎ、維持し、日々執り行っていることを改めてつきつけられて、都合の悪いことは聞かないふり、見ないふりをする自分のふがいなさに、とうとう、病が発動した、か、どうかははっきりわかりませんのですが。(家族が、講義や研修会に行く度に学んだ話を聞かされたり、私が泣いたりするので、これがストレスの原因の一つだと考えているようです。)

とにかく、人間の浮生(水草のような、地に足つかないもの、水に浮いているもの)を死に別れるという大事な儀式の中で何度も教えられてきたのかもしれないと、五月の半ばにご門徒がお浄土へ還られて、七日ごとのお参りが五月の末まであったので、満中陰(四十九日法要)の時に、ずっとふらふらしながらお参りをしてきた時に、思っていたことを聞いていただこうと思っていたのですが、お墓にお骨納めんなんし、雨が降ったり止んだりしていた日だったので、話せずじまいだったので、このお講で皆さんに聞いてもろことにしました。

 

それで、病気のことですが、昨日、20年ほど前に行った大きな病院へ行こうかとも思いましたが、やめて掛り付けの○○医院さんに行ってきて経過を話して、採血をしてもらいました。この病には即効薬も特効薬もないようです。その時に思ったのが、歎異抄にある耳慣れた親鸞聖人の言葉です。

たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。(「歎異抄」第二条)

(たとえ、法然上人にだまされて、念仏して地獄におちたとしても、後悔はいたしません。) 

先生、迷惑やね。でも先生はとても信頼できる医者で、おじいちゃんもおばあちゃんも何度も命を救われました。お年寄りと子どもには優しいのは有名です。なぜか私には怖いげんけど。私がふざけているかもしれません。ハンサムの前へ行くと緊張してふざけてしまうくせがあります。どうでもいいことやったね。

最後に、先日、犬連れて写真機能が付いている携帯電話持って、このあたりをあっちうろうろ、こっちうろうろしていました。7月は蓮華の季節です。以前、立派な花をいただいたことがあったので、ここにあるのを知っとって、すぐ見つけました。

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うれしくなって隠し撮りしてきました。

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↑水に映った姿もとても美しい。あっこや。私の村には蓮華はありません。

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↑これは、こっちのほうにもあったがの、見事なつぼみです。いいねぇ。

 

私の村にあるがは、スイレン(睡蓮)です。堤にあるがですけれども、何度も通って見にいっていますが、スイレンは晴れた午前中にしかきれいに咲かないようです。

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それで、蓮華や睡蓮を撮りながら、

思わず「高原の陸地に蓮を生ぜず、卑湿淤泥(ひしつおでい)に蓮華を生ず。」と口ずさんでいました。(蓮華と睡蓮は違うのですけれどもね。)

おじいちゃんが大好きな言葉で、繰り返し聞いていました。みなさんもそうかもしれませんね。「維摩経」というお経から、「これは大事な言葉だ」と親鸞聖人が「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」や「入出二門偈頌文(にゅうしゅつ にもん げじゅもん)」に引用した言葉。憂い悩みが、欲や迷いが、教えを求め、聞き、花を咲かせる地となる。すがすがしい風が吹く高原には蓮華が咲かないように。

ということで、蓮華が大好きです。またうろうろするかもしれませんが、お許しください。ということで、ちょうど時間となりましたのでこれで終わらせていただきます。お参りどうもありがとうございました。

 

いつもは遅刻ぎりぎりだから、今日は早めにお講の準備をする。必要な物をカバンにいれる。4月以来なのに「あれどこにおいたっけ」が全部見つかった、そろった。むしろ気持ちが悪い、私本当に死んじゃうんじゃないかな。自分のお利口さんなのはどうも居心地が悪い。