『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

万燈会いってきました

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法話には、前の方に小学生低学年くらいの小さな男の子がいて、緊張して噛んだりしましたが、話が終わったあと、ぱちぱち拍手をして下さいました。うれしかったぁ。「ありがとう、また来てね。」とお伝えしました。

それぞれいろんな思いで、法会に座る方々。
「お寺参りしてよかったな。」と思える時間のお手伝いになったらうれしいのだけど。


茶菓子は、「おお、でかいみたらし団子かっ、おいしそう」と思って食べたら、なんだこのクリームー、おいしい~。
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「プリン味のみずまんじゅう」表面のくず部分がカラメル味、餡がプリン味。

今夜最後にお伝えしたいのは、この本にも書かれて在ります、
よく耳にする言葉ですが、

(61)高原の陸地に蓮を生ぜず 卑湿淤泥に蓮華を生ず
これは凡夫、煩悩の泥の中に在て(ありて)、仏の正覚の華を生ずるに喩(たと)うるなり
「声に出して読みたい親鸞齋藤孝

私のおじいちゃんも大好きな言葉で、子どものころから繰り返し繰り返し聞いてきました。
今、蓮華が盛りです。ここには蓮畑はありますか、私の村にはないので、車に乗って見に行きます。蓮華を見る度にうれしくなって写真を撮っています。
この言葉は、「維摩経」というお経から、「これは大事な言葉だ」と親鸞聖人が「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」や「入出二門偈頌文(にゅうしゅつ にもん げじゅもん)」に引用した言葉です。憂い悩みが、欲や迷いが、教えを求め、聞き、花を咲かせる地(ぢ)となる。すがすがしい風が吹く高原には蓮華が咲かないように。
高原の陸地に蓮を生ぜず 卑湿淤泥に蓮華を生ず
阿弥陀さんも、蓮華の上に描かれています。私たちがどんな泥の中にいるのか、この万燈会が、今一度、わたくし自身を静かにたずねる機会となればいいなと思っています。