お散歩道草 osanpomichikusa 

-続迷林遊林航海記

法話の講題考えた

(前ログからの続き)

お散歩から帰ったらだーれもいませんでしたので、迷林は晩御飯を作らずに、講題を考えました。

むう、約二週間後のあたしの課題ってなんだよ(涙)じたばた、ばくばく

 

そうそう、先日会議があって、金沢別院へ行きました

きれいだったぁ、寺紋っ

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撮ってたら友達二人に笑われました。迷林きっと、子どもの頃もみんなが整列している時にひとり運動場の隅っこの雑草を見ていたんだよ・・・

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ピーンととがっているのは雷対策の避雷針かな?

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ぼそぼそ、寺紋たしかに抱きボタンやな、ふっふっふ。

K-002 抱き牡丹 (だきぼたん) | 京唐紙 山崎商店

 

そこで、いろいろ立ち読みして、岐阜県高山市の四衢亮(よつつじあきら)師の本を買いました。

『自分の発見 ― 絵本で感じる親鸞聖人の教え』四衢亮 著 東本願寺発行 定価250円

 

本の中で、四衢さんは、レオ・レオニという作家を紹介し、『ペツェーティーノ じぶんをみつけたぶぶんひんのはなし』という絵本に身を据えて、お話をして下さいます。

うるうる。

あとがきにはこう書かれていました。

本書は、2007年5月27日に高倉会館(京都市下京区)で行われた日曜講演において、四衢亮氏が「愚者になりて往生す」という講題でお話された講演録に加筆・訂正いただいたものです。この「愚者になりて往生す」という言葉は、宗祖親鸞聖人が自身の身のありようを師法然上人にいいあてられた言葉であると、本書に記されています。「私たちはなぜむなしいのか」。親鸞聖人が晩年に記されたお手紙のこの言葉は、私たちにそう問いかけます。宗祖親鸞聖人750回御遠忌を目睫に控えた今、そのことを本書とともに見つめていただければ幸いです。

             2008年6月20日 東本願寺出版部

『自分の発見 ― 絵本で感じる親鸞聖人の教え』四衢亮 著 東本願寺発行 あとがき より

 

帰宅した遊林にお願いして、本を読んでもらいました。

 

遊林:「自分を認めたい自分がおるから、苦しいということが書いてあったんでしょ。」

迷林:「えー、自分を認められない自分がおるから、苦しいのでないの?」

遊林:「だからぁ、自分を認めたいけど認められないんでしょ、」「早いやつ、強いやつ、登るやつ、飛ぶやつ、泳ぐやつ、最後にかしこいやつ、で、こなごな島へいって、こなごなになって、こなごなになるってことは自分も(みんなも)部品でできているということだから自分は自分でいいんやなって、みんなも認めることになる。」

 

この本と、この絵本はそんなことが書いてあるようです。

ペツェッティーノ―じぶんをみつけたぶぶんひんのはなし

ペツェッティーノ―じぶんをみつけたぶぶんひんのはなし

 

講題、決めました。

「愚者になりて往生す―私たちはなぜむなしいのか」

 

迷林は、特にあとがきに心震えました。御遠忌目前でいい雰囲気の時にこの本が出来たようです。でも見失って不安になる気持ちは、忘れたころにまたおこるのかもしれません。

んー、まだうまく言葉にできていないなぁ。

 

そのあと、晩ご飯を作りました。今宵は牛肉野菜炒め、晩餐館の焼き肉のたれ味。

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ズッキーニ切り方を2種、玉ねぎ、もやし、牛肉 。ざーっと炒める。

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遊林完食

じゃ、ブログに戻ります 

で、12時すぎに寝ました。次の日6:305:30に起こされてお弁当を作るなんてこと知らずに。