お散歩道草 osanpomichikusa 

-続迷林遊林航海記

6:00徹夜明け、もうろうとしているがいろいろうれしい

昨日はお散歩行けなかった。これは9/14に撮った。

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6:00原稿が上がる、今日の法話の原稿。

先日トミーさんが、宮崎駿監督の「・・・これからも少しでもましな作品を作るため、白い紙に向かっていきたい」という言葉を書かれていた。心強く思った。

tomii23.hatenablog.com

法話をお話しすることもそうだと思う。「面倒くさい」、大事だからベストを尽くして伝えたいから。

 

もうろうとしているがなんだかうれしい、出来た原稿の一部↓(ほんの一部だけど長いです。すみません。A4、12枚、たぶん12000字くらいの一部だから。)

さて、先日(9/9)福井の「まつや千々」というところを会場にして行われた、北陸連区坊守会研修会というのに参加しまして、以前同朋大学学長であった池田勇諦先生のお話を聞きました。大学の先生の話というのは聞きやすいことが多いです。わかりやすい。

 

いくつも印象的な言葉がありましたがね、

まず池田先生が何回も思いだして新鮮に思う言葉があると、

あるお母さんが、

結婚して所帯持っていて一緒に住んでいる息子だといっていた思いますが、

その息子に「お母さんは寺に行っているけれども、(みなさんのように聞法に通われておられるのだと思いましたが、)一体何を聞いているのか」と聞かれた。

池田ゆうたい先生は、寺の坊守さんらっちに「皆さんやったらどう対応されますかね。」と訊いた。その皆からの答えを待たずに、

そのお母さんは「あんたに遇いたいから聴きにいっとる」というたと。

先生の言葉よりも、この時に坊守さんたちが一斉に「ほー♡」といったのが印象的でした。

私はね、その時、遊林(とケンカして)2日程もう知らんと腹を立てていましたから、池田ゆうたい先生の話を私はなぜ聴きたいか、真剣にです。真剣ですから、下手すると斬られて死ぬ。そういう思いで、それは遊林と私に遇いたいからだと、思って参加してましたので、べつだん、「ほー♡」とも言いませんでしたがね。

 

それからね、印象的だったのが、(ノートにこうやって一生懸命書きました。親鸞聖人が「文沙汰してさかさかしき人」というのは、私のことやね。)

自己にとって他者とは何か、他者とは、自己を写す鏡だ

親鸞聖人はどう受け止めていらっしゃったか、

他者は阿弥陀さんの使いなんだと、このことを方便化身というんだ。

  

「方便」というのは真実のはたらき、見失っているものを真実に呼び返す。(このことを「教行信証」化身土巻に書かれています)

他者との出会いにおいて、真実の使者であったと一瞬ひらめく

教えに遇うということにおいて、他者の意味が知らされてくる。

聴いたことある、わかっとるんです。でも腹立っている。

9/5に中学の運動会があって、朝5:30に弁当作って、いろいろ用事して、8:30から運動会の入場行進があって、うちの甘えん坊の一人っ子はなぜか「入場行進を見に来て欲しい」という

私は見に来てほしいと思ったことないし、父は外国船航路の船乗りでしたし、母は勤続40年のキャリアウーマンでしたから、運動会見に来て欲しいと言ったこともなかった。私の母は昭和22年生まれですから、私たちは団塊ジュニアで、たくさん子どもがいる世代です。応援に来てくれたら嬉しかったですよ、

けれど、運動できないこともないけど、ものすごくできるわけでもないし、優秀な子もたくさんいましたから、まあ、なんでも3位くらいが多かった。騎馬戦では帽子とったことはあってもとられたことはない。まあ、いいですが。

 

とにかく中学の運動会は、昼間の2時にバテて倒れそうになるくらい応援したわけです。昨日も申しましたが、娘の遊林は日光じんましんで、30分以上太陽に当たるとじんましんがでてかゆくなるので、一人だけ忍者みたいな恰好で、まあ、目立つし写真撮るがは、よかったんだけども、(TOLOT見せる。)

9/8(火)代休があって学校が休みやった。こんな時はいつも親の私がどこかへ連れて行っていた。お父さんが仕事でいなかったら、お兄ちゃんと3人で、遊びに行くことが多かった。けれども、9/8(火)は私は「はねんま」にされた。

私がおらん方が、お兄ちゃんと二人で出掛ける方が楽しいと。

で、もういいわと、「遊林の為に」なんかしようというのはもうやめたと、自分の都合のいい時ばっかり親を頼って、昼ご飯の卵焼きも作れんもんが、だららして相手にならんと、今後一切、どっか連れて行くということはないから覚悟しとけと。

 

他者とは、自己を写す鏡だ 他者は阿弥陀さんの使い 方便化身 「方便」というのは真実のはたらき、見失っているものを真実に呼び返す。

「はねんま」(のけ者)にしているのはね、私なんです。母を同じように「はねんま」にして寂しい思いをさせているんだと、経験、実感しました。

 

で、改心して、心がけて、母に声をかけるようにするけれども、昨日いうた話で、母が、お客さんに「かわいそうに」というと、むかーっとして、「(母は)自分を上に見て、他者を下に見ている」と、否定する。

繰り返しです。

如来大悲」という言葉があります。

私に如来の大悲がかけられているということは、私が悲しまれている存在である ということだと思います。このことを後ほど話します。(アップここまで。)

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マキの実が赤くなりました。「赤いエプロンをつけたお地蔵さんみたい」と書いてあったけど、なるほどねー

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クリ(栗)も実って茶色くなりました。 

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 今日は帰ったらゆっくりお散歩したい