『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

御正忌にお話ししたこと、少し

さて、今日は真宗門徒にとって特別な日、親鸞聖人の御命日ですから、

ちょっと昨日話したことアップします。

 

11月のはじめ、しょんぼりしていた時に、報恩講のお参りに行ったお寺で友人が話していました。お御堂(おみどう)の障子を隔てて聞いておりましたが、

友人が話している時に、お参りに来られた方の携帯電話が鳴り、お年寄りは焦るとなかなか電話に出ることが難しくなることはよくあることで、さんざん着信音をならして、お御堂を出て話すのだけど、これまた大きい声で。

 

すると、「あっらー、布教使よりでーっかい声でしゃべっとるわいね。」「なかなか終わらんし。」「今、娑婆のことよりだいじなことを話しとるがやさけ、はよ電話やめてもどってきまっし。」みたいな感じで話されました。

 

すごいなー、私には言えません。

「今、娑婆のことよりだいじ(大事)なことを話しとるがやさけ」という言葉に、ご信心を垣間見ました。

 

親鸞聖人が大切にしていた言葉に、「自信教人信」(みずから信じ、人を教えて信ぜしむる) (『往生礼讃』善導大師の言葉) があります。その、みずから信じ、人を教えて信ぜしむる

ということを目の当たりにした思いでした。

 

業縁ということを丁寧にお話しされていました。

業 うちにあるもの

縁 そとにある

 

「霊のせいにすると、自分を顧みなくなる、反省しない。」

と、話されていましたが、「うち」というのは自分自身のことです。

 

石川県には、「だらぶち」とか「だらま」という言葉があります。「だら」というのは「アホ」に近いかな。「バカ」ってのはどうかなぁ。とにかく

「だらでけっこう。はしかいがは、(かしこいのは、利口なのは、)だらがちょっこコンザツ(混雑)しているだけ。」

という言葉に吹き出してしまいました。その「だら」を阿弥陀さんに知らされるのだと。そして「だらでけっこう。」を。

 

私はいつの間にか「だらでないもん」になったつもりで苦しんでいのだなぁと、話聞けてよかった。むしろ悩んでいてよかったなと思った気がします。悩んでいるときだからこそ響く言葉があるだろうから

(2015.11.27.美川 御正忌にて)

北陸道

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美川からみる白山

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レトロなお店(いーじ)

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 ほんのちょっこーりあったあられ

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