『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

法話は年々身がもたない。びびり過ぎて早めに原稿作った

眠れないわけではないのだけど、

うれしいな、今やっと、あるお寺の10日に行われる「新春法話会・新年会(と抽選会)」の原稿ができた。びびり過ぎて早めに作った。とはいえこれから当日まで何度も読みかえすだろう。法話は年々身がもたない。もうやめたい。ぐすん

 

ということで、はじめのところだけ

 

演題:「念仏のすくい―なにを教えに聞くのか」

 

今日は新春法話会ということで、みなさんようこそお参り下さいました。

まずね、おめでたい話をせんなんやろなと思っておりますが、

長い間「あけましておめでとうございます」が言えませんでした。12/31に除夜の鐘を突いて1/1になってもなんも変わらん。めでたくもなんともない。

と、ずっと思っていました。めでたいと思えんから言わんし、年賀状にも書かん。ある年ふと、聴いてきたことを整理した。ふと、大事やね

おじいちゃんは「なんまんだぶつ」「ありがとう」「尊いいのちをいただいて深く御礼申し上げたてまつります」と繰り返し繰り返しいうてお浄土へ還りました。

神社の初詣の作法について、行ったことないし、行く予定もないけども、

先ず神様に御礼するものなのだと教わった。

ということは、今年もまたひとつ歳を重ねることに感謝する時、たくさんの人に支えられて今あることを思う。たくさんのいのちを食べて生きていることを思う。そして、いただいたいのちを感謝することがなかったことを知らされた。

やっとバカボンのパパにおいついた四十一歳の初春(はる)。

その年、2013年 1月15日に年賀状を120枚書いた。

歌を詠んだわ、

「用意した二百枚の年賀状、今更エンジンかかる小正月。」

あけましておめでとうございます

今年はまだ書いていません、これ終わるまで。

こんで正月らしい話終わり。

いや、そんなことを言おうとおもたんでなくて、

一緒に本山で仕事していた親友が「なんまんだぶつって言いたくなるまで言わん」といっていたのですが、彼女はどうしたかなぁと

「あけましておめでとうございます」は信心なくてもいえるやろか「なむあみだぶつ」はどうやろか。言うがが大事なんだけども。

(本題に続く)

 

これが書けたのはこのブログのお陰。夕方(ちょうど半日前)撮ったスイセンを添えて寝ます。

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