『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

最初で最後の「子ども医療費」の申請

先日「子ども医療費」の申請をはじめてした。「できれば、こうやって綴じるので、ここ(左側)に領収書を揃えて貼ってください (はい、のりどうぞ) 。」はじめに「こちらで貼りますよ。」、と言ってくださったが、あまりに大量の領収書で、申し訳ないので、自分でやることにした。「これは、保険証のここに書いてあるのを書いて下さい。」「え、もう一度聞きますが、お子さんは何歳ですか?」「こんなにたくさんの領収書をはじめて申請される方ははじめてです。」といって市役所の支所の窓口のOさんが笑った。とても親切にしてもらった。のりは持っていった。娘は昨年の三月入院したので、それだけで8万の出費。申請した金額は10万を下回ることはないと思う。それが返ってくる。安心して涙が出た。いや、感謝の涙だった。

 

昨年(2014年)の村の女子会忘年会で、「『子ども医療費』の申請したことないのよ。」といったら、Mちゃんが眼をまんまるくして、「ほんと!そんな人いるの!はじめて聞いたよ、お金持ち!」「2年さかのぼって申請できるから、申請した方が、いいよ、払ったお金が全額返ってくるんだよ!」といった。領収書なんてとっておいたことはない。しかし、それを聞いてから領収書は、お気に入りの紙袋にためてはいた。その春、娘は入院した。それから夏に日光じんましんになった。  

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(モコにかじられてました笑)

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娘が小さかった頃、子ども医療費は(ひと月)1000円自己負担で、申請するとそれ以上かかった金額が振り込まれた。2500円なら1500円、住職の通帳に返ってくる。

娘が産まれた時は父が死んだ直後で、難産で、産後の回復もおもわしくなくて、娘は低体重でしばらく保育器にはいっていたし、搾乳して、いろいろ道がついた今と違って不便な遠い病院まで毎日通った。こんなものなのかと思っていたから辛いなんて言わなかったけれど、想い出すと泣ける。子どもが産まれると20万円だったと思うが、出産のお祝い金か、出産の費用の一部負担か、とにかくいろいろ忘れたけれども、産後、限られた期間に申請したら、振り込まれた。その申請がとても辛かった。

不親切で

役所に行きたくなかった。1500円いらない。幸い娘はあまり医者にかかることはなかった。いや、覚えてない。もしかしたら、産まれたばっかりの時は、低体重だからいろいろ、心臓・肢体や目、検査をたくさんしたし、採血も薬もたくさんたくさんあったから、いろいろ払ったかもしれない。そういや、3月は園児から4年生まで毎年ぜんそくになっていたな。いいんだ、忘れたよ。

 

(泣いてしまったら、モコが心配そうに様子を見に来た。「ありがとう、大丈夫、しんぱいしなくていいよ。」一眼レフでお部屋でモコを撮るとこれが精一杯)

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申請は他の用事もあったお兄ちゃんについてきてもらって、大量の領収書を貼るのを手伝ってもらった。いろんな思いがこみ上げて、泣いていた私に、「なんていうか、オレより執念深いんだな。」といって笑った。

 

今日は、村の女子会、はじめて申請したこと、みんなに言わなくちゃ。

わが市は、2015年12月から(やったかな、違っていたら後で訂正する)、「子ども医療費受給資格者証」を提出すれば、子どもの医療費は医療機関の窓口で、お金を払わなくてもよくなった。カバンに突っ込んであったそれを、窓口のOさんが、「そうよ、それよ。」といって確認してくれた。