『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

24日から今日まで

3月24日伊藤暁学師がお浄土へ還られました。

連絡があってから3月28日お葬式まで、みっちりお手伝いの日々でした。

お寺のお葬式は少し前まで一週間から10日程かけて準備してするものでしたが、

近年は5日間くらいでやることが多いようです。(あくまでも私の地域の話です。)

 

今回はたまたま25日から27日まで、車で往復3時間くらいの能登のお寺で法話があったので、

24日20時D寺へ、枕経、打ち合わせ、午前0時すぎ帰宅

25日は午前中月参りの後、D寺に寄って、11時30分に能登(穴水)に出発、17時D寺入り、19時家族や身内の仮通夜、10時半帰宅

26日10時からD寺に寄って、11時45分に能登(穴水)に出発、17時D寺入り、19時仮通夜、10時半帰宅

27日10時からD寺に寄って、11時45分に能登(穴水)に出発、17時D寺入り、お別れ勤行間に合わず、19時通夜勤行、10時半帰宅

28日8時からD寺、9時集会、葬場勤行

16時半帰宅・・・

この間、家事は一切できませんでした。お散歩も鳥を撮るのも。

(お兄ちゃんがやってくれました。)

仕事をして家事をしてという方の話を聞きますが、すごいことです、私には出来ません。帰宅後も毎日午前2時まで仕事していたな。こんなときは、お寺(D寺)の方で夕食は準備していただきますので、毎日精進料理、食べないと倒れることをつい最近学んだのでしっかり食べて体の調子はよかったです。

実は、24日、住職や遊林に対して少しずつたまった不満でむかむか腹が立ってしまい、ちょうどいいのでしばらくお世話スト中にすることにしました。「それなら、自分たちでやりなさい。」と。ま、家事放棄という感じでしょうか。

葬式が済んだ29日、「もうおこってないよ」とお兄ちゃんがこっそり伝えてくれたようで、久しぶりに住職と(作った)夕食を一緒に食べていた時、「お葬式の時、あなた、真っ青な顔していたよ。」と、ぼそり。ずっと心配してくれていたんだなぁと。ちょっとうれしく思いました。

 

今日は30日、暁学師の初七日。あっという間でした。

 

暁学さん、大好きでした。

「まっすぐ進む」みたい方で、言ったら自分が損することもおっしゃる方でした。かっこよかったな。叱られた時もあった。でも根性くそ悪いところは少しもなかった。かわいいところもあって、ぷっと笑ったりした。「○○さん、正信偈を勉強しなさいよ、大事なことは全部正信偈に書いてあります。」と声をかけてくださったことを絶対忘れない。

10年ほど前、暁学さんを囲んで、定期的に勉強会をやろうと思ったのだけど、もう遅かった。でももしかしたら、遅くなんてなかったのかもしれない。やるべきだった。

 

その人は肩に風を切って同朋会館歩いていた。私たちは心酔したものだった。もちろん、間衣輪袈裟で。髪はあります、浄土真宗の僧侶ですから。最後に触れた頭があの頃のままで、泣けました。お世話になりました、ありがとうございました。

 

起きたら11時で、月参りの約束に間に合わなかったので、14時にしてもらいました。それからモコのエサなどを買いに行く。

昨日からぎっくり腰に似た痛み。ぎっくりした覚えはないので疲れから来たようです。なるほど、疲れると、弱いところに出るんだねぇ。あたたたた、ちょっと休みます。

4月も初頭から法話シーズン中なので。

 

おまけ:

24日に撮った、部屋に遊びに来たチビヤモリくんです。弱っていたので水をあげましたが、そのうちいなくなりました。かわいかったです。

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