「あえの風」行って来ました
といいたいところですが、北陸連区坊守研修会があり、担当が能登教区で、会場が和倉温泉「あえの風」だったのでした。
どーん、きらきらー
200人なんて裕に入りまーす
でーかい会場
きらきらエレベーター4基
エレベーターから海が見えまーす
(北陸連区と言うのは、福井教区、大聖寺、小松、金沢、能登、高岡、富山という3県にまたがる7つの教区)
んー、学んだことを少しアップしておかないといけないなー。と起きた9/16朝。9月もバタバタしていて、今日は久し振りのお休みだけど、最近聞いたある方の講義がなんだか古くて、経験も引用も思ったこと気付かされたこともずっと前のことのように聞こえて。人のふり見てわがふり直せだなー、と思ったゆえに。(おお、これが「どんなふうにはたらくか自分ではわからない縁」というものやな。)
日程
趣旨
テーマ:現在(いま)を生きる 寺をひらく 私をひらく
~ いま、私はどう生きる? ~
【開催趣旨】
目まぐるしく変化する日常、不透明な将来、「いのち」が軽く扱われる社会。
最近の社会情勢を表現するとこんな言葉が並びます。背景には、ものの感じ方や価値観が従来とは随分変わってきたことも影響しているように思います。
同様に、過疎化、高齢化、寺離れなど、寺を取り巻く環境も考え方も様変わりしてきています。このような状況の中、寺に求められていることは何か、寺に身を置く私に求められていることは何かが問われています。「いま、私はどう生きる」と。
講題「浄土を生きる娑婆を生きる」
講師 沼 秋香(しょうこう)氏
講義Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、ⅳ 講義ⅳを除き50分程度
ということで、講義を一部アップします
・宗門におきましては、アウトサイダー
(…たしかに。というか、経歴的にという意味ではアウトサイダーなのでしょう)
(後に講義の中で妻は宮谷法含氏の孫娘、彼女のお兄さんは親鸞仏教センター所長、顔は似ているが全然違うと話された。下世話ですが、お兄さん↓)
・家は一人去り二人去り、女房と二人
(娘たちが嫁ぎ、父母がお浄土へ帰り。日常の妻との様子を話され、優しいのねー、仲いいのねーとうらやむ坊守の声がありました)
寺に求められていること、寺に身を多く私に求められていることは何か問われている
現代は、簡素化、一人一人孤立化することに慣れている。
電車に乗ると、老いも若きもこれ(スマホ)をやっている。
生の現実を見ない。バーチャルとリアリティ区別がつかなくなっている。
人と人とが向き合う時も、顔と顔、目と目を合わして、と言うことが少ない。
(反対に、娘が連れて来る)孫を見ていると、孫とはいいもんやとつくづく思う。小さいほど出来がええ。純粋な透きとおったような目でじーっと見つめられて素直に幸せ。
人間と人間との原点を孫を見ていると知らされる
そういう時代を生きるということから問いが立てられた
・私たちは二重国籍
テーマを決めるのが面倒くさいので、このテーマ(「浄土を生きる娑婆を生きる」
)をぱっと言ったが、民進党の方が二重国籍であるとニュースになっているが、
私たち浄土真宗の念仏の教えを聞く者の原点は、片方は浄土に、片方は娑婆(現実)を生きる。
紙芝居を持ってきました。
・「あかんぼばあさん」
じいさん山へたきぎとりにいったとさ、えっちらほーいどっこいしょ
たくさん薪を集めたところで喉が渇いたじいさんだったが、水の音がする。
こっくりきれいな水をたんとのんだわい
するとじいさん、腰がまっすぐになり、またたきぎをたくさん集めて帰った。
ただいまと家に帰り、おばあさんが汚れた顔を洗うことを勧めると、
水の中にみたことがある若い男がうつっていた。
きれいな顔をした若い男、見たことがある、じいさんは水を飲んで若返ったのだった。
じつはこうこうこうしたら、こうなったことをばあさんに言った。
次の朝、ばあさんはきれいな水の滝を目指して、きれいなあねさになろうと、むかった。ごっくんごっくん夢中で水を飲んだ
夜になってもばあさんが帰らないので、じいさんはたいまつ持って、きれいな水を飲んだ場所にばーさまーと探しに行った。ばーさまはいない。
おぎゃーおぎゃーと赤ん坊が、ばあさんの着物の中におった。
じいさまは赤ん坊を抱いて、ばあさんよいこじゃねんねしな
と連れて帰った【おわり】
ばあさんよいこじゃねんねしな、ばあさんよいこじゃねんねしな
ばあさん若くなりたくて水を飲みすぎた
年寄りのばあさんに聞かすとすごく喜ぶ
私の地域(大垣教区)の寺の伝統で、夏の朝、40分ほどお経の練習をしている。子どもが40人ほど集まる。年配の人がアイスクリームがもらえるのがうれしくて参加していたという。今でもアイスクリームを渡しているので夏の間は冷凍庫がアイスクリームでいっぱい。
その時に紙芝居をやっている。「あかんぼばあさん」は反響があった
伸びざかりの子どもは、そんな水は要らないという。
伸びきった年寄りは、一滴でいいからなんとかならないか、という。
「過ぎたるはおよばざるがごとし」という教訓であろうけれども、
女は欲が深いということであろう。おじいさんは欲がない
昔話は、おばあさんは意地悪、欲深い。りっぱないいおばあさんにお目にかかったことが無い、昔から言い伝え、誰が言い伝えてきたか、おじいさんが言い伝えてきた。「したきりすずめ」の悪いじいさんの話もあるが、物語にはいい人と悪い人がいるもので、いいじいさんが物語の中心になって、おばあさんを悪者にしてきた。
じいさんほどほどで済んだが、ばあさんやりすぎた
ところがほどほどでなかなか済まないことばかりで悔むことがある。
パチンコも酒も、事が終わってから止めておけばよかったと悔やむ
おじいさんは身で飲んだ。山で薪を拾い集めて、疲れて水を飲んだので、水を飲むと若返ると知らずに、若返ったことを知らずに飲んだ
おばあさんは心で飲んだ。
身が欲しかった分だけ飲むとちょうどよかったが、
心ということでは、欲求の深さというか、笑うに笑えない
身と心 感じる世界が違う
身は今、場所。身は条件のもとにある
心は、おばあさんが赤ん坊に戻れるほど、時間をさかのぼることも可能
オリンピックを、深夜、手に汗を握りみていたら、女房が「朝ニュースでやるのをみればいいじゃないか」というので「そんなわけあるか」と言ってみていた。ニュースを手に汗握ってみるわけがない。
身はテレビの前
心はリオ、プール、陸上競技場…、飛行機に乗らなくても、チケットなくても、特等席でリオ。心の世界は自由の世界を獲得。身はそんなわけにはいかない。
・先輩が身を削って大切な言葉を残してくれた
往生は心にあり 成仏は身にあり
(曽我量深)
北陸連区坊守研修会in「あえの風」に参加しました その2 につづく
追記:やっぱり「あえの風」は素晴らしい
夕食の懇親会の時に、金沢教区から二人、福井教区のテーブルに座ることになった。で、んなこと平気な私と坊守会長が座った。「能登教区のおもてなしがやはり一番だわ―」とおっしゃるので、「金沢はいいとしても福井の方におこられんかいね?福井の方々は能登が一番でいい?」といったら、こくり、とのことで。「あえの風」素晴らしかったですよ。
飲み放題の芋焼酎は「一刻者」(真ん中)!うひひひ、水割り3杯飲んだかなぁ。隣の人に勧められて赤ワインも注文したけどおいしかったわー。能登ワインではなかった
「一刻者」透明ボトルのこれ↓
休憩に「ル・ミュゼドアッシュ」のロールケーキとコーヒーがでました。これがまたまかったー。私はやっかいなことにふわふわのロールケーキでないと嫌いだし、自分で挽いてコーヒー入れるのであまりおいしくないコーヒーは飲めないのですが(ローソンのコーヒーは好き)、これは文句なし。ちなみにカップは石川県白山市のニッコー陶器♪
最近、姉妹店の「加賀屋」に食中毒のニュースがあった。「やっぱり「あえの風」は素晴らしい」っていってもらえるようこれからもがんばっていってほしい
あ、蛇足ですが、ポケモンいっぱいでましたからちょいちょいつかまえました。
「あえの風」荘厳なエントランス にジムがありましたので、私のカイリューを設置しました。設置して10ポケコイン、次の日にも10ポケコイン回収しました。ふふ
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