出来たー。と叫びたい時ブログをひらく。
A4、15枚、何文字になるんだろう。一時間と30分くらいの原稿
報恩講の法話を依頼されてしまった。
と、このブログに書いてから、不安で、ゆえに真剣に聴聞できた。その集大成を申し述べたい。
という意気込みで取り組みましたー。
さて、仲秋の候、雨or残暑の厳しい日が続いていますが、
ふふふ、原稿も作ったからね。ブログのお陰でなかなか順調、3日くらいで仕上げましたので、そだなー、まず、キンモクセイのこと書きます。
忙しくしていて、天気の悪いことも重なって、一番撮りたい時に撮れなかったのだけど、
【長善寺報恩講2016 原稿より】
遅咲きの彼岸花とキンモクセイが咲いています。
ねがわくは 花のもとにて 春死なむ
その如月(きさらぎ)の 望月(もちづき)のころ
という有名な歌があります。この歌は、百人一首にもある、西行法師(さいぎょうほうし)の 『新古今集』にある歌で、
「如月の望月のころ」は二月(きさらぎ)十五日(満月)をいうのだそうです。
この歌を、桜を見る度想い出すのですが、桜の咲くのは、2月ではないのだけど、どういうことかなぁと思っておりましたら、
私たちの使用している太陽暦では三月末に当たるそうです。
(西行の熱愛した桜の花盛りの時期に当たる)
余談ですが、お釈迦様の入滅の日は2月15日で、
西行法師という方は、祖先が藤原鎌足という裕福な武士の家系に生まれ、幼い頃に亡くなった父の後を継ぎ17歳で兵衛尉(ひょうえのじょう、皇室の警護兵)となる。同僚には彼と同い年の平清盛がいた。
歌が高く評価され、武士としても実力は一流で、疾走する馬上から的を射る「流鏑馬(やぶさめ)」の達人で、公家&武士社会を代表するスポーツ「蹴鞠(けまり)」の名手でもあった。おまけに容姿端麗だったと伝えられています。
ところが、そのエリート・コースを捨て、1140年、22歳の若さで出家する。
出家の理由はいろいろあるようですが、今日はふれませんけれども、
阿弥陀仏の極楽浄土が西方にあることから「西行」を法号(法名)とした、とのことです。この歌は、出家して、仏道を歩んだ西行が、お釈迦さまと同じ日に死にたいという願いをこめた歌ですけれども、驚いたことに彼は願った通り、
建久元年二月十六日に没した。親鸞聖人18歳、比叡山で学ばれていた時です。
参考:
ねがはくは花のもとにて春死なむその如月の望月のころ | 大岡信ことば館 – Z会
余談が長くなりましたが、桜を見ながら、私は同じように思わないなぁとずっと思っていました。キンモクセイがむせかえるように香る日に、9月25日あたりだと記憶していますが、西行の歌にのせるなら、
ねがわくは 花のもとにて 秋死なむ
その長月(くがつ)の 受け月のころ
(細い月は29日あたり、「受け月」は細い、縦型でなくて横型のお皿のような月なんだけど、秋に見れるかは知らないのだが、細いならよしとする。)
なんて、つい、詠いたくなります。キンモクセイと言うのは咲いていても、むせかえるように香るのは9/25から二・三日くらいではないでしょうか。
そんなことを娘に話しましたら、
「私は、(もちろん選べるならですが、)お寺の行事の邪魔にならない時期に死にたい」と申しました。偉いですねぇ。娘に「寺たのんぞ」と小さい時から言うとりますので(笑)ちやんと考えてくれとる。自分はそんなこと思わんかったなぁ。(すんません。)
9/25に死んだら、お寺の行事を考えると絶対だめやわ。この時期から10月中は近隣のお寺で毎日報恩講があります。
遅咲きの彼岸花 (2016.9.30撮影)
花のもとにて (2016.10.2撮影)
おまけ:キンモクセイを撮っておりましたら、トンビが様子をうかがっていましたよ
ぴーひょろー
追記:しばらくテレビ等見ていなかったのですが、なんだか台風だそうで。
今日のお散歩道、好みの細い月でした
そうそう、娘いわく、キンモクセイがむせかえるほど香っていようが、普通に香っていようが自分はわからない、とのことでした。私は彼女より鼻がよいのです。