『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

葬儀式に表れる生きざま

村の初お講を済ませてから、枕経に行った。

次の日仮通夜に行って、通夜に参って、お葬式にお参りした。

葬儀式とは、これらすべて、亡くなってからお葬式、還骨勤行・初七日までだと私は思う。

 

うまくいえないのだけど、久しぶりに、

ものすごく愛されている方の葬儀だった。

 

添いあいのおじいちゃんだけが悲しんでいることは珍しくない。おばあちゃんが病気になってから33年、入退院に寄り添って、「病気だったからこそ、連れていろいろどこでも行った。近くの温泉で行ったところがない所はない。」入院してからは病院に毎日通った。「葬儀が終わったら、ワシはどこに行けばいいんだろう。」とおっしゃった。

息子たちは何をしたらいいかわからないといいながら、きちんとやるべきことをして、仏間では母親の側に座っていた。実はこの頃そういう姿がすっかり見受けられなくなった。寒い日が続いたけれども、ファンヒーターは部屋が暖かくなりすぎるのでつけなかった。その隣には30代の長男がいて、息子の嫁さんたちがタイミングよくお茶を淹れ、家族みんながおじいちゃんをいたわって、浄土に帰ったおばあちゃんを愛しんだ。少なくとも僧侶がいる場では誰もスマホをいじっている人がいなかった。

 

以前、御住職から、そのおじいちゃんのことを、「おくさんいのちのひとだから。」と聞いた。いつだったのか思い出せないけれど、毎日おばあちゃんの病院に通っていた時のことだった。

 

彼女が彼らを大切にしたこと、彼らがそんな彼女のことをとても愛していたことが伝わった。子どもたちを皆立派に育てた。それは実は普通のことではない。

深い感動をおぼえた。

うらやましい死に方ってこういうのだと、久しぶりに思った。

 

お葬式は皆げっそりしていた。

最近見られることが少なくなった本来の姿です。

 

中陰膳にはつかなかったのだけど、通常、精進料理なのだから、

まさか、お刺身とか食べてなかったんだろうな、まさかね。

 

「おしどり夫婦」と呼ばれる方々は、一羽がお浄土へ帰ると、後を追うようにして・・・、という話は結構ある話。残されたおじいちゃんに何がしてあげられるだろうか。そう思うのは、彼が人を惹きつけるような人格者なのだと思った。そんな人に彼女が育てたのだと、近しい人が言った。

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