『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

「たまには弱み見せてくださいよ。」

 先日図書館で借りた本を読み終えた。

NHKで目にすることもあるこの著書は書いてあることが少ないのですぐ読めた。絵本と詩集の間のような、こんな感じも良いもの。

ヨーコさんの“言葉” わけがわからん

ヨーコさんの“言葉” わけがわからん

 

 

ということで、佐野洋子さんのようにつぶやいてみたくなった

 

 若かりし時「たまには弱み見せてくださいよ。」と、年下の男の子に言われたことがあった。

いや、正確には年賀状に書いてあったんだった、思い出した。

私は二十代後半で彼は大学生だったから、今思えばそれほど年が離れていたわけではなかったのだなぁと思う。

 

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彼は本願寺派のお坊さんで、当時は龍谷大学の学生さんだった。
たしか東西本願寺派合同行動非戦平和パレードみたいのが、東西本願寺がある京都駅周辺であってそれにお互い参加した。(今でもあるんだろうか。)
私は全国仏教青年同盟の事務局をやっていて、その「仏青同盟(ぶっせい)から5人パレードに出てください。」と陰のボスから指示があって、参加したような気がしてる。まあ、そういうこと、非戦をねがう強い気持ちなんぞがあって練り歩いたわけではない。ただ、尊敬して慕っていた先生が何人か参加しておられたな。
なんだか封印していた過去をのぞいた気持ちである。

 

三月の半ばに(恐れていた)法話の機会があって、

いろいろあったので、これまた昔に先生に聞いた言葉を思い出していた。

 

 

みなさん、ようこそお参り下さいました。

先日、3月10日に、娘の中学の卒業式がありまして、
朝7時におきまして、自分で髪をセットして、訪問着を着て、
9時過ぎに、中学に行きました。感動しまして、泣いてばかりいました。
校長先生の「学校長式辞」に感動していました。

 

思えば、遊林の中学入学式の校長先生の言葉に、うなだれた、覚えがあります。
その時の、日記(ブログ)があります。

 

4月7日に中学校の入学式があった。色無地をかしてあげるわよ!という方がおられたので、自分で着て行ったが、寒くて途中から帰りたい一心だった。

そんな中で、校長先生が、吉田松陰の言葉を紹介した。
吉田松陰というのは、幕末の武士、長州藩士で、一般的に明治維新の精神的指導者・理論者として知られます、

「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、 計画なき者に実行なし、 実行なき者に成功なし。 故に、夢なき者に成功なし。」

吉田松陰

と、校長先生は高らかに語って、私はげんなりして、
私は今中学へ行っても劣等生だなぁ、夢ないし、成功とか目指してないし、と思って悲しくなって固まりました。楽しく期待に胸ふくらませて写真撮ってる場合でなくて、そそくさと帰りました。

 

でもそれが唯一最大の収穫で、
その日は、昼から法話で、聞いて下さるおばあちゃんたちに愚痴っていました。
と、書いていたのですが、

卒業式は、感激でいっぱいでした。


自分の中学卒業式は何の思い入れもなかった。これからの生活に期待も不安もなかった。ただ少したくさんの仲良しの友達とこれから共に過ごすことができないことが寂しく思えた。

校長先生が、はなむけの言葉を話されました。

 

「一歩、前へ。」(うちの男便所に書いてある、と、思ったが、それ、いま考えちゃ、ダメ。と自分に言い聞かせて、)

私たちは少し上手くいくと満足して立ち止まってしまうことがある。現状に満足することするのは、後退すること、ともいう。なぜなら周りが進歩するから。だから、一歩前へ。私はここに来て3年、みなさんの成長に関われたことをうれしく思う。

と、話されました。
中学の三年は聞いていたとおり、娘の成長が早くて、
反抗期もあり、彼女自身悩んで悩んで日光じんましんになったり、
泣いたり、怒ったり、優しくなったり、そして、親である私を「リスペクト」したり、リスペクトというのは、尊敬という意味で今、流行っている言葉てす。



式の最後に、卒業の歌が歌われました。

卒業生からは「巣立ちの歌」
花の色雲の影 懐かしいあの思い出
過ぎし日の窓にのこして 巣立ちゆく今日のお別れ
いざさらばさらば先生 いざさらばさらば友よ 美しいあすの日のため

風の日も雨の日も 励みきし学びの庭
かの教え胸に抱きて 巣立ちゆく今日のお別れ
いざさらばさらば先生 いざさらばさらばともよ 輝かしい明日の日のため

在校生からは「旅立ちの日に
白い光の中に 山なみは萌えて 遥かな空の果てまでも 君は飛び立つ
限りなく青い空に 心ふるわせ 自由を駆ける鳥よ ふり返ることもせず
勇気を翼にこめて希望の風にのり このひろい大空にー夢をたくして

懐かしい友の声 ふとよみがえる 意味もないいさかいに 泣いたあのとき
心かよったうれしさに 抱き合った日よみんなすぎたけれど 思い出強く抱いて
勇気を翼にこめて 希望の風にのり このひろい大空に夢をたくして
いま、別れのとき 飛び立とう未来信じて
弾む若い 力信じて このひろい大空に
いま、別れのとき 飛び立とう未来信じて
弾む若い 力信じて このひろい、このひろい大空に

 

ぐすっぐすっと、泣いているお母さんがいる。私も泣きましたが、
子どもってのはいいなーと、親にしてもらえる。
お母さんにしてもらえるんです。と、しみじみ、思いました。

飛び立とう未来信じて。人間には無限の可能性があるんだから。

 

これは、娘が、今年の「書き初め」に書いたものです。

「無限の可能性」

 この言葉を選ばれた習字の先生は、この村にも縁の深い○○先生です。中学生は先生の字をお手本にする。私も先生に習字を習っています。
先日、10日に、電話がありまして、「ご丁寧にありがとうございます、全然行けてなくてすみません、必ず行きます、当然1,2,3月号のテキスト代はお支払いしますよ。」「ああ先生、もう一つどうしてもいいたいことがある、私も、あの言葉が一番好きやよ、ありがとう、娘の書いたやつを部屋に貼っとるよ。」と伝えました。哲学者ハイデガーの有名な言葉です。

 

さて、娘は、受験勉強から解放され、今は毎日、友だちと遊んでいます。

今回の永代祠堂法会のはじめの日、3月11日に、佐野さんの言葉をお伝えしました。

私たちは「楽」をねがって生きているのだけれども、
「楽」は苦が抜けた状態です。
苦がとれると楽を感じる。お腹が痛いという時苦しいでしょう、
それが薬を飲んだり痛みがとれて来ると、楽、楽というのは苦がとれた状態。
苦がなかったら、楽も感じない。苦がとれるとその時に楽を感じる。
楽を感じているのは苦があったという証拠。
苦しみの経験がだんだん薄れて行くと、楽になったという気持ちも薄れる。
楽が感じる内容は苦があったということ、である。

楽が感じる内容は苦があったということ。

佐野明弘

 


それで、遊林に、今、「楽」だねぇと、それは、「苦」があったからだねえと、話しました。「こんなに、楽を感じれるなら、苦もいいでしょう」と、いいましたら、「苦もいい。」と娘は言いました。


私は和田稠先生が言っておられた言葉を彷彿としました。
「もう少しこの苦を味わっていてもいい。」 
ドフトエフスキーか、ゴーリキーだったか忘れましたが、
とにかく、主人公のアンナだったと思いますが、
救いに出遇った時に言った言葉です。
飲んだくれの亭主を持って、必死に稼いだ少しの金を、亭主がバクチや酒に使ってしまう、明日食べる物もないような生活を過ごすアンナだけれども、
救いに出遇った時、「もう少しこの苦しみを味わっていてもいい。」


と、いったというのですけれども、
うろ覚えの記憶をたぐりながら、お御堂の後ろにある『世界文学全集』を探しに行ったらありました。ゴーリキーの「どん底」でした。
が、ずいぶん長くなってしまったので、原典はまた違った形でアップします。