『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

罪障(ざいしょう)功徳の体(たい)となる  親鸞聖人のことば

高僧和讃 493P

曇鸞和讃

 

17
論主(ろんじゅ)の一心ととけるをば
 曇鸞大師(どんらんだいし)のみことには
煩悩(ぼんのう)成就のわれらが
他力(たりき)の信とのべたまう

 

※論主(ろんじゅ)の一心ととけるをばー天親「浄土論」は、「世尊我一心(せそんわれいっしんに)」ということばに始まる


18
尽十方(じんじっぽう)の無碍(むげ)光は
 無明(むみょう)のやみをてらしつつ
 一念歓喜(かんぎ)するひとを
 かならず滅度(めつど)にいたらしむ


19
無碍(むげ)光の利益(りやく)より
 威徳(いとく)広大の信をえて
 かならず煩悩(ぼんのう)のこおりとけ
 すなわち菩提(ぼだい)のみずとなる


20
罪障(ざいょう)功徳の体となる
 こおりとみずのごとくにて
 こおりおおきにみずおおし
 さわりおおきに徳おおし


21
名号(みょうごう)不思議の海水(かいしい)は
 逆謗(ぎゃくほう)の屍骸(しがい)もとどまらず
 衆悪(しゅあく)の万川(ばんせん)帰(き)しぬれば
 功徳のうしおに一味(いちみ)なり


22
尽十方(じんじっぽう)無碍光(むげこう)の
 大悲大願(だいがん)の海水(かいしい)に
 煩悩(ぼんのう)の衆流(しゅりゅう)帰(き)しぬれば
 智慧(ちえ)のうしおに一味(いちみ)なり

 

 

なお、曇鸞和讃は三十四首あり、高僧和讃の中でもっとも多い。

 

正信偈』では以下のような六行

本師、曇鸞は、梁の天子常に鸞のところに向こうて菩薩と礼したてまつる。
 三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
 天親菩薩の『論』、註解して、報土の因果、誓願に顕す。
 往・還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
 惑染の凡夫、信心発すれば、生死即涅槃なりと証知せしむ。
 必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生、みなあまねく化すといえり。

正信偈』206頁

 

東本願寺のホームページに、古田和弘先生の、正信偈の教えを連載している。

正信偈の教え-みんなの偈- | 東本願寺

惑染(わくぜん)の凡夫(ぼんぶ)、信心(しんじん)発(ほっ)すれば、
生死(しょうじ)即(そく)涅槃(ねはん)なりと証知(しょうち)せしむ。

 

 

惑いに染まる私が、その惑いを、その罪障が、功徳の体となる。 

こおりとみずのごとくにて  こおりおおきにみずおおし  さわりおおきに徳おおし