他人のそら似ということがある。
女子校時代の同級生に、子ども奉仕団のスタッフが似ていた。
金沢市の女子高校生と、鈴鹿のお寺のわかさん(男の子)が似ていたのである。年齢はたぶん一廻りくらい違う
先日、他の用事のついでに海を見に行った。
たまたまカメラが載っていたから、
一緒にいた友人にも撮ってもらうことにした。
なんて、私みたいな写真を撮るんだろう。
どっちが撮ったかわからない。
自分に似た人
はじめてあった。
白梅が満開で風のない日に、
「意外だと思われるかもしれませんが、あなた、私に似てるんです。
私をよく知る友人たちは
クソ真面目といって褒めてくれます。
クソまじめなとこ。似てる。」
と、メールした
それからしばらくして、
「あなたと私は、業が似ている。」と彼は返事をくれた。
「業(ごう)」、仏教のことばだから、説明するときは、
どこで生まれたか、どんなふうに育ったか、何に出会って、なにを背負っているか、
とまあこんなふうに話したりするけれど、
性格と言うこともそうだし、好きなこととか、やりたいこと、大事に思っていることとかも「業」という言葉に含まれる。仏教用語を使うというのは、そういう利点もあるんです。馴染みがないから、遊林には言葉の意味を説明しているけれど。
桜の頃、よくよく考えたら、私に似ているのでないことに気づいた。似て非なるもの
父に似ていたんだった
涙がたくさんたくさんこぼれた。
泣きながら月参りに行ったけど、ご門徒さんにはばれなかった。おばあちゃんだったら心配したに違いない。
あいたかった人に、
もう二度とあえないとあきらめてあきらめて、毎日あきらめて、あきらめることなんてなかった人に、あえた。
そら(それは)涙もでるよ。
(向こうは、そんなこと言われても困るだろうけど(笑))