『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

お散歩日記4/29

 

5月8日は心に刻む(ニアイシネルン)ための日であります。心に刻むというのは、ある出来事が自らの内面の一部となるよう、これを誠実かつ純粋に思い浮かべる(ゲデンケン)ことであります。そのためには、とりわけ誠実さが必要とされます。


 われわれは今日、戦いと暴力支配とのなかで斃(たお)れたすべての人々の苦しみのうちに思い浮かべております。


 ことにドイツの強制収容所の中で命を奪われた600万人のユダヤ人を思い浮かべます。 

 

 戦いに苦しんだすべての民族、なかんずくソ連ポーランドの無数の死者を思い浮かべます

 

 ドイツ人としては、兵士として斃(たお)れた同胞、そして故郷の空襲で、捕らわれの最中に、あるいは故郷を追われる途中で命を失った同胞を哀しみのうちに思い浮かべます。
 
 虐殺されたシィンティ、ロマ(ジプシーと呼ばれた人)、殺された同性愛の人びと、殺害された精神病患者、宗教もしくは政治上の信念ゆえに死ななければならなかった人びとを思い浮かべます。

 

 銃殺された人質を思い浮かべます。

 

 ドイツに占領されたすべての国のレジスタンス(抵抗者)の犠牲者に思いをはせます。

 

 ドイツ人としては、市民としての、軍人としての、そして信仰にもとづいてのドイツのレジス

(中略)

 

 罪の有無、老少いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。

 

 心に刻み(ニアインキルン)つづけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。


 問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目にとなります(拍手)。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです
 
出典:『荒れ野の40年』ヴァイツゼッカー大統領演説全文 岩波ブックレット
 
2016.9.30 いしかわ教育総合研究所 田村光彰(元北陸大学教授)
石川の戦争を学ぶ 第三回 日独の戦後処理・反省
資料より。

 

 
ずっと、書こうと思っていた。ところが、この大事な資料が迷子で。捨てるわけはないから、そのうち、と思っていた。見つけたときもあった。でも、その時は今度書こうと思って(笑)。もう今日は絶対見つけると部屋中引っかき回してようやく見つけた。お陰で部屋がきれいに。まあ、よくある話(笑)。
 
田村先生は丁寧に、大切なことをたくさん教えてくださいました。
金沢が、「731部隊(戦争中に生体実験をした)」に縁が深いことを、知りませんでした。
 
特に印象的だったのは、
日本は戦争犯罪を裁かず、明らかにしなかったから、繰り返す恐れがある。
対してドイツは、戦争を繰り返さないために、ナチス犯罪に時効を設けない。
94歳になっても、97歳でも裁判をやめない。
毎日新聞が2012年7月19日、97歳のナチ戦犯が拘束されたことを伝えている。
徹底的に、ナチス犯罪を許さない。今でも続いている。これが日本と違うところである。

 

 
「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」
 
という、ヴァイツゼッカー大統領演説は有名で、差別問題の研修会でもよく紹介され、耳にすることがあったが、この前に、下記に表すこの順番で、思い浮かべるということで、弔いの言葉(謝罪)が述べられたことを、知って衝撃を受けた。

 

 
まっさきに、思い浮かべるのは、
600万人のユダヤ
すべての民族、なかんずくソ連ポーランドの無数の死者を思い浮かべます。
同胞を哀しみの
 
そして、
われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。

 

 
ドイツの人たちの動画を見せていただきました。彼らはこの言葉を共有していました。
「私にも、責任がある。過去からの帰結に関わる。」

 

 
ヴァイツゼッカー大統領:

リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー - Wikipedia


 
ドイツには、「祈念(追悼)の場・ノイエ・ヴァッヘ」がある。
ドイツは、追悼のために、1993年新「ノイエ・ヴァッヘ」成立
そこに、彫像(ブロンズ)「死んだ息子を抱く母親」(ピエタ)がある。母と死せる息子。息子は裸で、裸であるということは、生身の裸の人間としての息子の死が、表現されている。
また、ミケランジェロピエタは「死んだイエスを抱くマリア」で、戦争の犠牲となる、母と若者のみが、表現されることに、疑問がなげかけられることがある。ヴァイツゼッカー大統領演説にあるように、戦争は、国籍、身分(市民・兵士)民族を問わずすべての死者が戦争の犠牲者である。私たちはそれを決して忘れてはならない。
 
ノイエ・ヴァッヘとは:

ノイエ・ヴァッヘ - Wikipedia

 

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田村先生が、ノイエ・ヴァッヘの「死んだ息子を抱く母親」(ピエタ)の画像を見せてくださった。
そこに花が手向けられていた。
ノイエ・ヴァッヘの像を検索すると、花が手向けられている画像をいくつも確認することが出来る。
 
 
亡き人のために花を手向けるということは、民族や文化を超えて、あるものなんですね。と、私が言うと、隣に座っていた先生は静かにうなずかれた。

 

 

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