『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

金沢の山野草園でキビタキ撮りました

金沢市卯辰山公園の山野草園に行きました。

観音坂(女坂)の途中に山野草園への坂があります。

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野鳥の声がたくさん聞こえる

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椅子がたくさんあります。 

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f:id:meirin41:20180516115835j:plain山野草園に来たのだけど、山野草は撮らず、木を仰いで野鳥を探す

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あまり広くはないので気づいたら山野草園の入り口に到着

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ん、椅子のところに・・・  

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どこいった?

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おおおー!

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キビタキ

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前日に「キビタキ撮れたらいいな」って友人とラインやりとりしていたのです。感激。

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うれしやうれしや。

 

さて、近くの蓮如堂にお参りしてからお昼ご飯にしましょう。

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卯辰山蕎麦屋だから、卯蕎(うきょう)なんだろうな。

杉下右京」役の水谷豊さんが訪れたことがある。

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とろろ蕎麦食べました。

すごくおいしかったので、忘れないように書いておきます。

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五月に入ってからお葬式が続いた。

お通夜に通夜説法をした。急な別れにオロオロして、

何を伝えたらいいのか、困りはてて、親鸞聖人のお手紙を読んだ。

 

(六)なによりも、こぞことし、老少男女おおくのひとびとのしにあいて候うらんことこそ、あわれにそうらえ。ただし、生死無常のことわり、くわしく如来のときおかせおわしましてそうろううえは、おどろきおぼしめすべからずそうろう。

(なによりも、去年今年と、老少、男女、おおくのひとびとがなくなられたことは、大変悲しいことであります。ただし、生死無常の道理は、生死が無常であるということは、
くわしく釈迦如来の説かれていることでありますから、いまさら驚くことではありません。)

まず、善信が身には、臨終の善悪をばもうさず、信心決定のひとは、うたがいなければ、正定聚に住することにて候うなり。さればこそ、愚痴無智のひともおわりもめでたく候え。如来の御はからいにて往生するよし、ひとびともうされ候いける、すこしもたがわず候うなり。としごろ、おのおのにもうし候いしこと、たがわずこそ候え。

(まず、私としては、死ぬときの良し悪しはもうしません。信心の定まった人は、疑いがなく、教えを聞く身を生きる人となる。そうであればこそ、愚痴無知の人のいのちの終わりもめでたいのです。阿弥陀如来の御はからいにて往生する(生きざまを問わない救いである)と、人々(七高僧などの先輩たち)がおっしゃっていたことと、少しも違わないのです。(私が)前々から、皆さんにお伝えしてきたことと違わないのです。)


かまえて、学生沙汰せさせたまい候わで、往生をとげさせたまい候うべし。

(けっして、(あれを学んだ、これを知っとるといって、物知り顔をして、)学者ぶって
はからうことなく、往生を遂げられるのがよいのです。)

 

法然聖人は、「浄土宗のひとは愚者になりて往生す」と候いしことを、たしかにうけたまわり候いしうえに、ものもおぼえぬあさましき人々のまいりたるを御覧じては、往生必定すべしとてえませたまいしをみまいらせ候いき。

(故法然聖人は、「浄土宗のひとは愚者になりて往生す」とおおせられたことを、たしかに承っており、何もしらない「あさましき」人々のまいりたるのを御覧になっては、(あの方は)必ず往生するであろう、とおっしゃってにっこりされたのを拝見しました。)

 

ふみざたして、さかさかしきひとのまいりたるをば、往生はいかがあらんずらんと、たしかにうけたまわりき。いまにいたるまでおもいあわせられ候うなり。

(いろいろ勉強して、計らって、威張るような人が参るのは、「(あの方の)往生はどうだろうか」と、たしかにお聞きしました(うけたまわりました)。そのこと今にいたるまで思い出しています。)

 

初七日までは毎日参る。それから四十九日の満中陰まで毎週参る。久しぶりに七日参りも月参りもない日

親鸞聖人のお手紙、ちゃんと訳せていなかったと、くよくよ。