6月6日に生後間もない子ネコを保護しました。その時はまだ目が開いていなくて、おそらく6月2日生まれとのこと。三時間おきにミルクをあげる。身体が冷えるといのちに危険が及ぶのでカイロを常備すること。体重140g
【6月11日】体重190g
【6月12日】四時間おきにミルクをあげる。うんちが出ない、目が開いていないのに目やにが出ているので動物病院へ行く。先生が目を開けた。
【6月13日】
ミルクを必死で飲む
ミルクのあとは、とんとんとん。ゲップをだしましょう
「かわうそ」と呼ばれています
ちょんちょん、お尻とおちんちんの間を、あたたかいお湯をつけたティッシュで刺激してあげておしっこを出してあげます
ウサギのモコが急にかまってちゃんになりました。
さて、今日の課題は、
「本願に帰す」 『教行信証』化身土・末『真宗聖典』P399
私たちは行に帰すことはできても願に帰すことはできないのではないでしょうか。それでも聞く本願に帰すの言葉とは
なんですけども。
6月6日に住職が犬と散歩をしていたときに、犬の梵天がなにか生き物を見つけたようで、走って帰ってきて、「大変だ、なにか生き物がいる、このままではきっと他の生き物に食べられてしまう。」と私に言うので、段ボールを持って、住職が軽四を運転して、二人でその生き物を探しに行きました。「犬の子かもしれない。でも、もぐらかもしれない。もしかしたらネズミかもしれない」と彼は言っていたのですが、ニャーニャー鳴いていたのでネコでした。ネコは目が開いていなくて、150g足らずでいわれてみればモグラにも見えました。(が、ニャーニャー鳴いていたのでネコ確定なんですけど。)
お兄ちゃんがミルクと哺乳瓶を買いに行って、6時くらいに動物病院へ買ってきた物を持って連れていって、ミルクのあげ方などを教わりました。母ネコがなめるようにたくさんたくさんなでてあげて下さい。特にお腹はなでてあげることによって血流が良くなって排泄がうながされますからね、と先生はおしっしゃいました。
名前をなににしようかと考えたときに、黒いネコなので、クロクロクロクロ・・・ロクで、6月6日に来たので、三つのロク、弥勒と名付けました。ちなみに犬は梵天で、友人たちは「ネコの方が位が高いのね」と言って笑います。三時間おきにミルクをやって、 おしっこをさせてやって、そのうち目が開いて、今は少しずつ離乳食を始めています。 とにかくかわいくてかわいくて、子ネコがこんなにかわいいことを知りませんでした。
6月19日に金沢教務所で会議があったのですがネコのミルクと寝かしつけがうまく行かずに30分遅刻しました。6月22~24日に自分の寺の報恩講を勤めましたが、掃除よりも儀式よりも子ネコの世話を優先させて、願に帰すことも行に帰すことも出来ない日々です。
今日の課題である「本願に帰す」という言葉の前に、
「雑行を棄てて(本願に帰す。『真宗聖典』P399)」という言葉がありますが、まったく雑行のただなかにいつもいる気がしています。
そのことは、もっと具体的に言うと、
信心淳からざるをもってのゆえに決定なし、決定なきがゆえに念相続せず、また念相続せざるがゆえに決定の信を得ず、決定の信を得ざるがゆえ心淳からざるべし。これを相違せるを「如実修行相応」と名づく。
真面目にやれ、本気でやれ、続けろ、ということなんだと思いますが、私の人生は一度も「如実修行相応」だったことはありません。
それでもずっとぼーっと考えていることがあります。長い間課題にし続けていることがあります。
『歎異抄』に次のような言葉があります。
四 慈悲に聖道・浄土のかわりめあり。聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし。浄土の慈悲というは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈大悲心をもって、おもうがごとく衆生を利益するをいうべきなり。今生に、いかに、いとおし不便とおもうとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。しかれば、念仏もうすのみぞ、すえとおりたる大慈大悲心にてそうろうべきと云々
・・・略します
【6月15日】
【6月18日】
日に日にネコらしくなります
【6月23日】
ハンサムになったと言われます
一眼レフで撮ると目が青いのです
ネコパンチだってやっちゃいます
梵天:僕も遊んでほしいな
【6月25日】体重350g
【6月26日】離乳食を始める。17:30(におわない、すばらしい)トイレの砂ではじめての自己排泄
【6月27日】
箱、攻略。
【6月28日】
ニャーニャーニャー、ミルクをください!
ネコってこんなにこんなにかわいいことを知りませんでした。