『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

北部公園で桜を撮る

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金沢のソメイヨシノはもう少し

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早咲きの山桜は、もう散っているものも。 

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 ツバメが飛んでいました。

 

「心の中の勝負は51対49であることが多い」と書かれていたことを思っていた。

 

心理学者の河合隼雄さんが、ベストセラーになった「こころの処方箋」の中で、「心の中の勝負は51対49であることが多い」と書いています。


あるとき、無理に連れて来られた高校生で、椅子を後ろに向け、私に背を向けて坐った子が居た。

 

このようなときは、われわれはむしろ、やりやすい子が来たと思う。(中略)こんなときに私が落ち着いていられるのは、心のなかのことは、だいたいが51対49くらいのところで勝負がついていることが多いと思っているからである。この高校生にしても、カウンセラーのところなど行くものか、という気持の反面、ひょっとしてカウンセラーという人が自分の苦しみをわかってくれるかも知れないと思っているのだ。人の助けなど借りるものか、という気持と、藁にすがってでも助かりたいという気持ちが共存している。しかしものごとをどちらかに決める場合は、その相反する気持ちの間で勝負が決まり、「助けを借りない」というほうが勝つと、それだけが前面に出てきて主張される。しかし、その実はその反対の傾向が潜在していて、それは51対49と言いたいほどのきわどい差であることが多い。

 

 

51対49というと僅かの差である。しかし、多くの場合、底の方の対立は無意識のなかに沈んでしまい、意識されるところでは、2対0の勝負のように感じられている。サッカーの勝負だと、2対0なら完勝である。従って、意識的には片方が非常に強く主張されるのだが、その実はそれほど一方的ではないのである。
このあたりの感じがつかめてくると、「お前なんかに話をするものか」などと言われたりしても、あんがい落ち着いていられるのである。じっくり構えていると、どんなことが生じてくるか、まだまだわからないのである。

 

 河合隼雄「こころの処方箋」より

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