『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

『教行信証講読』「証巻」金子大榮選集

『証巻』二―三、一味同證③

それ故に浄土の声が、その一味同証の妙境なることを顕わすものである。而してかく浄土が一味同証の境なる所以としてそこに知らるるものは、その浄土を住持する如来の力である。これに依りて次いで荘厳主功徳成就が思われるのである。されば「彼の安楽浄土は…

『証巻』二―三、一味同證②

併しわれらはこの論文において、特に「彼の国土の清浄安楽なるを聞き」といい、さらに「これはこれ国土の名字仏事を為す、いづくんぞ思議すべけんや」という言葉に心ひかるるものである。「浄土」という声がわれわれを救うのである。浄土の声(な)がその清浄…

『証巻』二―三、一味同證①

浄土真宗の、教行信はすこし遊林に話すことができるくらいにはなった。 教は「大無量寿経これなり」「法」。 信は「機」「法器(という言葉がある)」。 行は「念仏」(「選択本願念仏」)「はたらき」。「法」と「機」をつなぐもの。 え、違うかな。まあとにか…