『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

「十方衆生」というは、すなわちわれらなり。①

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親鸞教室|佐野明弘 他|光闡坊|石川県|浄土真宗の法話案内 (shinshuhouwa.info)

 

「十方衆生」というは、十方のよろずの衆生なり。すなわちわれらなり。(『真宗聖典』521頁)

十方衆生とは業縁の存在たる一切の衆生を皆、同じく、斉しく摂取し呼びかける如来の言葉である。この言葉に「ら」の一字をもって自らを見いだし応表したのが「すなわちわれらなり」の金言である。

 

応表」は佐野さんの造語とのこと。

『尊号真像銘文』(『真宗聖典』521頁)

また曰わく、「言摂生増上縁者 如無量寿経 四十八願中説 仏言若我成仏 十方衆生 願生我国 称我名字 下至十声 乗我願力 若不生者 不取正覚 此即是願往生行人 命欲終時 願力摂得往生 故名摂生増上縁」(観念法門)文


「若我成仏」ともうすは、法蔵菩薩ちかいたまわく、もしわれ仏をえたらんにと、ときたまう。「十方衆生」というは、十方のよろずの衆生なり。すなわちわれらなり。「願生我国」というは、安楽浄刹にうまれんとねがえとなり。「称我名字」というは、われ仏をえんに、わがなをとなえられんとなり。「下至十声」というは、名字をとなえられんこと、しも、とこえせんものとなり。下至というは、十声にあまれるものも聞名のものをも往生にもらさずきらわぬことをあらわししめすとなり。

 

『尊号真像銘文』はあまり勉強しないのだけど、親鸞聖人のポイントが書かれていることは聞いている。善導の書いたものの中でもっとも重要な言葉として、4つ挙げているのだと思う。善導は『観経疏』、「二河白道」が有名だけど、ここでは『観念法門』を引用する。(続く)