『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

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煽られたとはいえ、ちょっとやりすぎ。

とはいえ、どれも買ってよかった感。特にホタテと3段スチールラックと収納ボックスは即リピ。冬布団一式も人に勧めたいくらいよい買い物でした。

 

 

「念仏すすめしむ」報恩講に思うこと(後編)

後半

 この『真宗の教えと宗門の歩み』という本にまんでいいがにまとまっていましたので、今日の資料に記載しました。

 釈尊(紀元前四六三-三八三年頃)は北インドの現在のネパール南部ルンビニーというところにお生まれになりました。俗名をゴータマ・シッタールタ太子といいます。 

釈尊の出家について「四門出遊」の物語が伝えられています。大使が王城の東門を出て行かれたとき老人を、南門を出られたとき病人を見ました。また、西門を出られると死者を送る葬列にあわれました。このようなことが太子の心に誰もさけることのできない生老病死の苦痛を呼び起こしたのです。次に北門を出られたとき、静かにあるいていく沙門(出家者)を見られました。このことをきっかけとして、生老病死の苦しみを超えることを求めて大使は出家をこころざしました。そして、ついに二十九歳のとき、王城をすて、王である父がつかわした五人の家臣とともに山に入って六年の苦行生活をつまれました。しかし、苦行では人生の苦悩は解決できないことを知り、ひとり苦行をすてて、菩提樹の下に座って瞑想をかさねられたのです。その四十九日目の暁に、さとりをひらかれました。ときに三十五歳でした。

さとりを開かれた釈尊は、かつてともに修行した五人の比丘(修行僧)のいる鹿野苑(ろくやおん)をたずね、説法をされました。すると、この五人の比丘も釈尊と同じく心の目覚めをえました。この出来事において人類の歴史の上に初めて、真理に目覚めた者(仏=ブッダ)によって、真実の教え(法=ダルマ)が説かれ、仏の教えに生きる者の集まり(僧=サンガ)が誕生したのでした。仏教ではこの仏・法・僧を宝とし(三宝・さんぼう)、帰依すること(三帰依・さんきえ)を仏弟子の基本とします。

この本は、ここにまんでまいがにまとまっとるから、これから「真宗門徒講座」のテキストにしたらいいね、と「真宗門徒講座」の担当者に伝えましたら、「三帰依がわかりやすく書いてありますね、テキスト候補にいいと思います」という言葉をいただきました。

 

釈尊は、八十歳でお亡くなりになるまでの四十五年間、各地を歩かれ、教えを説かれました。その教えは八万四千といわれるほどたくさんあります。親鸞聖人、は、釈尊をたたえて「正信偈」に、(『真宗聖典』204頁、赤本8頁)

 

如来所以興出世 唯説弥陀本願海

五濁悪時群生海 応信如来如実言

如来、世に興出したまうゆえは、 ただ弥陀本願海を説かんとなり。

五濁悪時の群生海、 如来如実の言を信ずべし。

 

【現代語訳】 釈尊や諸仏が世に現れるのは、ただ、この海のように深く広い本願を説こうとされるからです。世が濁り、悪がさかんな時代をともに生きる者たちよ、釈尊や諸仏のまことのことばを信じましょう。 

と、阿弥陀仏の本願を説くことこそが釈尊の本懐(ほんがい・本当の願い)であったとうたっておられます。この釈尊の本懐を明らかにしてくださった方々こそ七高僧です。

 

お釈迦(釈尊)様と、阿弥陀様(阿弥陀仏)と、親鸞(親鸞聖人)さんと、なんかよくわからんと、みなさんの方はそんなことをおっしゃらんかもしれませんが、なんかよくわからん方にも伝わるくらい、いいがにまとまっとるなと思いました。

如来、世に興出したまうゆえは、 ただ弥陀本願海を説かんとなり。

五濁悪時の群生海、 如来如実の言を信ずべし。

 

私のおじいちゃんの節談説教が聞こえる思いがします。お釈迦様がこの世にお生まれになったのはなんのためであるか、ただ阿弥陀仏の本願を教えるためであった。「南無阿弥陀仏」を教えるためであった。五濁悪時の群生海、これはわれわれのこと。如来如実の言を信ずべし。念仏やぞ。「本願海」「群生海」「ねむたいかい」そう私に言い聞かせたおじいちゃんは、節談説教の説教者で、「ただ念仏やぞ」と教えてくれました。念仏より他に救われる道はない。そんなことを繰り返し聞いてきました。

もう一つ、くり返し帰る言葉があります。

 

「生活の中で 念仏するのでなく 念仏の上に 生活がいとなまれる」和田稠先生の言葉です。

 

法語カレンダーにもなった言葉で、法語カレンダー随想集の、「今日のことば」に熊本の保々真量さんが書かれていたことばをお伝えします。

今日のことば  

私が三十代に入った頃、和田稠先生のお話をよく聴かせていただいていました。個人的な悩みを自分ではどうすることもできず、先生が九州に来られると聞くと、会場に足を運んでいました。

 

そんなある日、先生の法話が終わった後、控室にうかがった時のことです。いつもはこちらからお尋ねをすることが多かったのですが、その時は先生から「君は苦しみ悩みがあって、それをなくしたいと思ってここへ来とるんだろう」と問われました。そのとおりだったのですが、あまりにも唐突だったこともあり、私は何も言えずにいました。さらに先生は「あのなあ、苦悩する者を人間というんや」と言われ、私は(だから、その苦悩を取り除くことを求めて、ここに聞きに来てるんだ)と思いながらも、先生の言われようとされていることが飲み込めず困惑し、ずっと沈黙していました。そんな私を見て、先生はダメを押すようにこう言われたのです。「じゃあ、もういっぺん聞くが、君は隣で泣いとる人がおっても、苦しんでいる人がおっても、自分だけは悩みもせず苦しみもせず、そんなロボットみたいな人間になりたいんか」と。

 

驚きのあまり、私は言葉が出ませんでした。自分が意識して求めていたことが、この身が本当に求めていることとは全く違っていたんだ、という驚き。何かが自分の中でひっくり返ったような、もっと言えば自分そのものがひっくり返されたような不思議な感覚でした。

 

私たちは、日頃、聴聞をする時に、「ためになるお話を聞きたい」「今日の話は参考になった」というように、仏法を利用するような聞き方をしていることがあります。さらに、念仏することで、迷いをなくしていこう、悩みを解決しようという思いで聞いているのではないでしょうか。

 

聴聞の原点は、個人的な悩みや苦しみから始まります。むしろ、苦悩を抜きにした聞法は、精神修養や教養としての学びになりやすく、それは理解が増えた分だけ、他人を見下したり、自分の名利を満たすものになったりします。そうなると、学ばない方がまだましだということにもなりかねません。

 

しかし私たちは、個人的な苦悩をなくすことだけでは終えていけない身を抱えています。安田理深先生が「私たちはもっともっと悩まねばなりません。人類のさまざまな問題が私たちに圧しかかってきているのです。安っぽい喜びと安心にひたるような信仰に逃避していることはできない。むしろそういう安っぽい信仰を打ち破っていくのが浄土真宗です」とおっしゃったと聞いています。

 

「生活の中で念仏する」ということは、念仏を手段にして、苦悩をなくそう、たすかろうとしている私たちのすがたとも言えるのではないでしょうか。しかし、それは本当の意味で私たちのすくいにはならない。むしろ、そういう個人的な思いを打ち破っていくような形で、私たちを歩ませるような如来の呼び声〈念仏〉が届く。その念仏のはたらきに出遇い、歩んでいるすがたを「念仏の上に生活がいとなまれる」と表現されているように思います。

『今日のことば 2015年(12月)』

【教えにふれる読み物(今日のことば)】生活の中で 念仏するのでなく 念仏の上に 生活がいとなまれる | しんらん交流館HP 浄土真宗ドットインフォ (jodo-shinshu.info)

 

報恩講で読まれる『御伝鈔』に、親鸞聖人のご臨終の姿が書かれます。

聖人弘長二歳 壬戌 仲冬下旬の候より、いささか不例の気まします。自爾以来、口に世事をまじえず、ただ仏恩のふかきことをのぶ。声に余言をあらわさず、もっぱら称名たゆることなし。しこうして同第八日午時、頭北面西右脇に臥し給いて、ついに念仏の息たえましましおわりぬ。時に、頽齢九旬に満ちたまう。

 

私のおじいちゃんは同じように亡くなっていきました。おじいちゃんのように死にたい、生きたいと思うと、和田先生の言葉、紹介した保々さんが書かれていたことが頭をもたげます。そうして、その間でずっと今も、お念仏を喜んだおじいちゃんと、真実を求めた和田先生の間でずっともんもんとしています。報恩講は改悔といって、一年に一度自分をひっくり返して洗いざらいさらけだすような場なのだと聞いてきました。みなさんおひとりおひとりの報恩講も、洗いざらい我が身を問うような時であればよいなと思います。

 

「念仏すすめしむ」報恩講に思うこと(前編)

2023.11.19日曜講座法話

三帰依

 

皆さん今日は日曜講座のお参りをありがとうございます。私は小松に勤務しています迷林と申します。今日はYさんの代打でここに立たせていただくことになりました。

 

報恩講とは

 まず、今月11月号の『花すみれ』に書かれていた「報恩講とは」を確認します。

 

Q報恩講のことを「お取り越し(おとりこし)」とも言うのはどうしてですか?

Aお答え 宗祖親鸞聖人は、今から七六二年前の一二六二(弘長二)年十一月二十八日に九十年の生涯を閉じられました。火葬された後のご遺骨は鳥部野北辺の大谷に、親鸞聖人より五十年前に亡くなられた法然上人のご遺体を埋葬した場所の近くに納めて碑が立てられましたが、その十年後に現在の知恩院山門北側にある崇泰院が建つ末娘覚信尼夫妻の土地に移し、廟堂が建立されました。その後、留守識を継承された覚如上人が、この廟堂に本尊を安置して「本願寺」を建立され、本願寺を中心とした真宗教団を実現することを目指されました。しかし、これに反発した関東の御門徒が独立するような動きもありました。

 このような状況の中で、報恩講はこの覚如上人によって始められたのです。当時、各地にいるご門徒が、親鸞聖人のご命日である二十八日に毎月行っていた会合は「二十八日のお念仏」と呼ばれていました。これを基にして、一二九四(栄仁二)年聖人の三十三回忌にあたり、覚如上人は『報恩講式』、後に『報恩講私記』を著して、聖人の威徳を思い、その恩徳を讃嘆した表白を拝読されました。これが、報恩講の始まりといわれています。

 以後、十一月二十八日(新暦では一月一六日)の聖人の御正忌に当たり、毎年報恩講が勤められるようになりました。今日の報恩講における声明やお勤めの作法などは、のちに整えられ、各寺院において一番大事な仏事として今日まで勤められ継承されています。

 

 また報恩講のことを「お取り越し」ともいうのは、『日本国語大辞典』(第三巻)には、「俳諧・類船集と浮世草子西鶴諸国ばなし」に典拠があると記載されており、この呼び名は江戸時代の前期頃からと考えられます。その意味については、毎年勤められる本山の報恩講よりも期日を繰り上げて行う仏事としての意味があったのではないかと思われます。今日では時期に限らず「在家報恩講」(私の地域ではご門徒のお内仏で勤められる報恩講を「お取り越し」と呼びます)を指すようになりました。(略)

月間聞法誌『花すみれ』十一月号

真宗大谷派 大谷婦人会発行物

 

 小松では「お取越し」といいますか?同じ意味で「お引き上げ」「引上会(いんじょうえ)」という言葉もあります。同朋会館へいくと全国のご門徒さんが集まるので、「お取越し」「お引上げ」、「そうぼんこう」「うちぼんこう」いろんな呼び名で各地で報恩講が勤められ続けていることに、感慨深いものを感じます。

 「廟堂に本尊を安置して」親鸞聖人を偲んで集った750年前から、真宗門徒に繋がれてきている仏事が報恩講です。

 

  • 自己紹介(私の11月)

 さて、私は昨年の11月から小松に勤めています。(中略)経験も知識もないし、特にお話は苦手ですが、今回みたいなピンチヒッターはこれからも受けんなんなと思っています。

 小松の職場に来る前、11月1・2日は報恩講参り会で、3・4も報恩講参り会で、5日も報恩講参り会でした。令和元年の11月6日は金沢教区の推進員報恩講法話で、7日の夜は金沢真宗学院の公開講座で、ハンセン病の講義を聞きました。いつも、玄関までお見送りをしてくれて、いつも迎えに来てくれた猫の弥勒が6日は迎えに来てくれませんでした。

 弥勒と出会ったのは2018年の6月6日で、生後4日の目が開いていない子猫が、犬の散歩道にほかされていて、大事に大事に育てて、互いに深い愛情で、いつも一緒に寝て、腕枕をしました。

 弥勒は毎日のように贈り物をしてくれて、ときにはネズミを持ってきて、お御堂の椅子の座布団、うっしょどの革製のスリッパ、母の靴下。頭のたか見たことない靴下だらけになったことがありました。あるときは自分の体の三倍もあるような、タンスの上においてあるでかいスティッチのぬいぐるみ。そして、常に体の一部を私にひっつけているような恋人で、トイレも風呂もずっと待っている猫でした。私もずっと一緒にいたくて、犬の散歩にさえ行きたくなかった。エネコロクサを何度も弥勒の土産にしました。

 11月6日に、あれ、なんか弥勒具合悪いなと思いましたが、7日木曜日は行きつけの動物病院が休みで、弥勒病院嫌いやけど、明日はいこうねというていたら、金曜の朝を待たずに弥勒は浄土へ帰りました。死ぬまで、死ぬかもしれんと思えないものです。

 いいふうに考える「正常性バイアス」、自分にとって都合の悪い情報を無視したり過小評価したりするという認知の特性のこと。若いさかい、時間が経てばよくなる、大丈夫やと。いままで元気やったし、毛もつやつややし、昨日まで元気やったもん、どもないと。根拠もなく自分の都合のいいように考えてしまいました。

 高史明という方は、息子さんの岡真史さんが小学6年生で自死をされ、「背骨が折れたようだ、いまもずっと」と語られましたが、私もそうで、猫が死んだくらいでと、思う方もおられるかもしれませんが、私が今の仕事を受けた理由の一つは、忙しくなったら、この弥勒を亡くした悲しみ、喪失の痛みから逃れられるかもしれない、と思いました。お陰で毎日忙しくて、トイレや風呂で弥勒が待っていた姿も忘れてしまいました。

 命日の8日は月参りをして、あらためて勉強する日に。祥月命日の11月8日は、毎年『観経』をあげて法事をします。人間はいいな、亡き人を縁に集う。「人身(にんじん)うけがたし、いますでにうく」というけども、私の猫の弥勒の法事したくても、集まってもらえんのです。でも弥勒の四十九日だけは、うちの寺の御正忌、「おひっちゃさま」の日にして、在所の人に、目のあかんときからかわいがってもらった弥勒が浄土に帰ったことをお知らせしました。

 

 先月10月の十二日講で、大聖寺出雲路修(おさむ)先生がいうていた言葉に、心の震えるような思いがして泣きじゃくりました。

長く生きることは自分より若い人の死にいくつもあうこと。「老少不定」、老いたものから亡くなっていくのではないことを、身を通して知らされる。(出雲路修)

お互いにうなずくようなことだと思います。そやね、私が30歳のときは、52歳の今ほど、あの人もこの人もという、死に別れの悲しみはありません。

 生まれてまもない目の開かない猫を抱いた時、これから10年20年お世話しようと思いました。2018年6月に生まれて、2019年11月に死んでしまった猫の1年半は人間でいうと、20歳だと、獣医さんがいいました。長く生きることは自分より若い人の死にいくつもあうこと。老少不定、老いたものから亡くなっていくのではない。長く生きることは悲しい思いをたくさんすることですね。

 弥勒の命日の11月8日に掲示板の法語を書きました。きったない字です。私は、しゃーっと書きます。時間をかけてもきったないので、時間はかけません。

常念を修するは、すなわちこれ恒に懴悔する人なり。

「化身土本」(『真宗聖典』三五九頁)

常に思うことは、つねに懴悔すること。悔いること。11月8日のお朝事(朝のお勤め)に読んだところです。

 Sさんが「ドラえもんになにかひとつ道具を出してもらえるとしたら何をお願いしますか」と聞きました。私は「迷いません、タイムマシーンです」と答えました。令和元年の11月7日に帰りたい。木曜日にやっている医者に連れていく。そうしたら、弥勒と一緒にいたいから、小松に来て勤務することはなかったと思います。友だちが、「医者に連れて行ったからといってたすかるとはいえんよ」といって私をなぐさめます。

 一度夢を見ました。令和元年の11月、1・2日は報恩講参り会で、3・4も報恩講参り会で、5日も報恩講参り会。6日は金沢教区推進員報恩講法話で、7日は月参りで昼間まで話して、夜は具合の悪い弥勒を様子を見てくれるよう頼んで、ハンセン病公開講座の阪本仁さん(解放推進本部)の講義を金沢に聞きにいって、夜9時近くに帰宅して、帰ってすぐ酒飲んで、風呂入って、同じ日を過ごしました。もう一度あの日に帰っても、死ぬまで、死ぬと思えない。(なんかの映画みたいです。)

 ハンセン病の隔離政策は、優生思想です。優れたものだけを生かす思想。これは明治政府になって、鎖国をやめて、これから世界と対等に付き合っていこうとしたときに、外国の人が日本にきたときに、みっとんないハンセン病の者がもたもたと町を歩いている姿を外国人が見たら、日本という国が低俗だと思われるから隔離した。今度お札になる渋沢栄一氏などがこれを進めました。ハンセン病隔離政策は、役場の人に、近所の人、そして寺が、「あそこにハンセン病者がおる」と通報した。日本のハンセン病隔離政策は、世界に類を見ない90%を超える。隣の人がそれぞれに真面目な密告者、加害者になった。そんな話を聞きました。死ぬとわかっていたら一分でも一秒でもそばにいたかった。弥勒のいのちの時間と引換えに学んだ「ハンセン病差別問題」は私の生涯の課題にします。

 

 親鸞聖人の言葉に戻りますと、この言葉は、『教行信証』化身土・本巻『真宗聖典』359頁に親鸞聖人の末法思想のことが書かれています。正法の時、像法の時、末法の時、釈尊が説いた正しい教えが世で行われ修行して悟る人がいる時代(正法)が過ぎると、次に教えが行われても外見だけが修行者に似るだけで悟る人がいない時代(像法)が来て、その次には人も世も最悪となり正法がまったく行われない時代(=末法)になる。

 

資料には【現代語訳】を載せました。

 『大集月蔵経(だいじゅうがつぞうきょう)』というお経に、こう云われている。「仏が滅度して後の第一の五百年には、私のもろもろの弟子は、智慧を学ぶことがたしかにできるだろう。第二の五百年には、禅定を学ぶことが堅固にできるだろう。第三の五百年には、〔経法を〕多く聞き、読誦し、〔それらを〕学ぶことが堅固にできるだろう。第四の五百年には、仏塔や寺院を造立し、福徳を修め、懴悔することが堅固にできるだろう。第五の五百年には、白法がかくれ、多くあらそいがあるだろう。微かな善法があって〔それを〕堅固にたもつだろう。

 今のときの衆生を推し計ると、仏がこの世を去られてから第四の五百年に当たっている。まさしくこれは、懴悔し、福徳を修め、仏の名号を称えるべきのときの者である。ひとたび(一念)南無阿弥陀仏を称えると、すぐに八十億劫の生死の罪を除くことができる。一念ですらそうなのである。まして常(つね)に念仏を修めるのは、まさしく恒(つね)に懴悔する人である。

『解読教行信証』(東本願寺発行・一五四頁)

 

常(つね)に念仏を修めるのは、まさしく恒(つね)に懴悔する人である。清沢満之の言葉を彷彿とします。

 

「我他力の救済を念するときは、我が世に処するの道開け、我他力の救済を忘るゝときは、我が世に処するの道閉つ」

清沢満之「〔他力の救済〕」(『清沢満之全集』第六巻、329頁)

清沢満之の「他力の救済」という言葉です。

 「他力」とは、他人の力や神頼みのことではなく、阿弥陀仏の本願のはたらきを意味します。阿弥陀仏の本願とは、一言で言えば、阿弥陀仏の浄土を依り処として生きて欲しいという、私たちに向けられた阿弥陀仏の願いのことです。阿弥陀仏はどのような境遇にある者も分け隔てせず見捨てず救う仏であり、その浄土は優劣や損得、有益無益という世間の価値観を超えた世界として経典に説かれます。 大谷大学HPきょうのことば(教員エッセイ)  [2015年10月]より

 

 この一文は、念仏に出遇う時の喜びを示すと同時に、「我他力の救済を忘るゝ」自分自身の姿を見出していくことでもありました。私たちは、ああでもないこうでもないと、自らの善悪邪正の思いにとらわれますが、念仏はそのような姿を静かに照らし出し、本願の大悲に触れよと呼び掛けてくださっています。そしてその大悲に触れるということは、善悪邪正にとらわれ苦しむ私たちの姿(衆禍)が消えてなくなるのではなく、照らし出される苦悩の姿にうなずきながら歩みつづける道が開かれることを意味しています。そのような歩みを開いていく念仏の声を聞いていきたいと思います。[教研だより]『真宗2018年12月号』より

 

 阿弥陀仏をおもうとき(他力の救済を念するとき)、しらされるのはいつも、我が身の懴悔ではないか。それを清沢師は、「我が世に処するの道開け」とおっしゃったのだと思います。(休憩)

 

私の腹痛記録

今週のお題「体調が悪いときの過ごし方」

風邪やインフルエンザにはかかりにくいが、よくおなかが痛くなる。そんな時はカイロを腹に貼る。以前は胃腸薬をすぐ飲んだ。最近切らしたので買ってない。よくおなかが痛くなるけどそれは予想不可で、大概は夜に痛くなる。

おなかの調子が悪いときはご飯を食べる。体調に応じておかゆにする。おなか痛くてヘロヘロな時準備が簡単な「おかゆクッカー」が役に立つ。天才か、と思うほどうまいおかゆが食べられます。

 

 

腹痛の経験として、腹が冷えておこる腹痛、惣菜の油が古いと腹痛、ノロウィルス、ロタウィルス、生ビールの腹痛、サザエ食べすぎの腹痛、夏の牡蠣の毒食べた腹痛など多数。

※鼻がよいので腐ったものは基本食べません。

これらで重症だったのは、「夏の牡蠣の毒食べた腹痛」で、もだえ苦しみあまりの痛さに声が出る日が続き、あまりの痛さに一人で医者にも行けず、結果入院7日間。腸が腫れていたようでもう少し我慢していたら死んでいたかもしれない。

 

さて、いろいろな腹痛を経験してきたが今回はサルモネラ菌のようである。新しい職場での仕事が始まった夫の便からサルモネラ菌が見つかった。夫は元気だ。しかし、私が重症一歩手前である。ちょっと整理してみたい。

2023年11月

1日(水)便提出

7日(火)富山出張、夕方懇親会。会席料理。

8日(水)8:30出勤、昼過ぎから軽い腹痛、夕食キャベツと豚肉の炒め物、チューハイ500cc。夜強い腹痛、夜中3度以上トイレへ。黄色い粘りのある下痢便。

9日(木)8:30出勤、食欲なし。朝ご飯茶碗半分おつゆ150cc。昼食べれず1時間寝る。夕方過ぎから強めの腹痛、便失禁。夕食梅干し茶漬け、チューハイ500cc。夜強い腹痛、夜中3度以上トイレへ。下痢便・水様便。黄色・たまにピンク色。(便失禁3回中、2回は自宅にて)

10日(金)8:30出勤、食欲なし。朝ご飯茶碗1/4おつゆ150cc。昼ご飯茶碗1/4スープ春雨150cc。昼過ぎから軽い腹痛、トイレ二回下痢便。黄色・たまにピンク色。夕食ご飯一杯だいこん漬物、チューハイ500cc。朝方トイレ一回、腹痛なし。

※出勤時尿取パット装着、帰宅後汚れを確認。黄色い粘りのある下痢便。

※13時に夫から「10日前の便からサルモネラ菌が見つかった」と連絡あり。

11日(土)休み。ゆっくり過ごす。13時昼食ボロネーゼ、紅茶。14時下痢便から軟便になる。腹痛なし。猫が4匹そばにいる。

※食事作りは辞退。

※連日嘔吐はなし。悪心なし。熱なし。

医者に行こうかかなり迷ったが、起きたのは11時で、投薬はないだろうし、(夫)10日前の便だし、(私)腹痛もおさまっているので自宅待機とした。明日は出勤。出勤時尿取パット装着の予定。

しかし、なんでこうなったか。10日前の食事のことは覚えていない。スマホで家族ラインの履歴を見る。夫は少なくとも10/28から11/4は毎晩私が作ったご飯を食べている。豚肉が腐っていたか。鶏肉の火の通りが甘かったか。

腹が痛いのに、欲に駆られてボロネーゼを食う。毎晩チューハイ500ccは欠かせない。愚か者であり。

 

 

 

常念を修するは、すなわちこれ恒に懴悔する人なり

常念を修するは、すなわちこれ恒に懴悔する人なり。

顕浄土真実教行証文類 化身土・本巻『真宗聖典』359頁

 

【語句の意味】

常(つね)に念仏を修めるのは、まさしく恒(つね)に懴悔する人である。

『解読教行信証』(東本願寺出版発行)155頁

 

清沢満之師の有名な言葉が浮かぶ。

「我他力の救済を念するときは、我が世に処するの道開け、我他力の救済を忘るゝときは、我が世に処するの道閉つ」(〔他力の救済」『清沢満之全集』第六巻、329頁)

【参考】

我他力の救済を念するときは、我が世に処するの道開け、我他力の救済を忘るゝときは、我が世に処するの道閉つ | きょうのことば | 読むページ | 大谷大学 (otani.ac.jp)

 

阿弥陀仏をおもうとき(他力の救済を念するとき)、しらされるのはいつも、我が身の懴悔ではないか。それを清沢師は、「我が世に処するの道開け」とおっしゃった。

言葉が足りないと思いますが、最後に、

仏智うたがうつみふかし

この心おもいしるならば
く(悔)ゆるこころをむねとして
仏智の不思議をたのむべし

已上二十三首仏(智)不思議の弥陀の御ちかいをうたがうつみとがをしらせんとあらわせるなり

愚禿善信作

 

また、「つねに」ということに「常」と「恒」の違いがあるという。

楓蔦黄(もみじつたきばむ)11月2日頃

ムクゲ

今年は暖かいからムクゲが長く咲くようです。

ヒヨドリが大騒ぎ

この赤い実のなる木は何かわからず。

ピラカンサスではない。小鳥が好んで食べている風でもない。モチノキだろうか。

桜の木に小鳥が飛んできました。

カシラダカ

ヒヨドリが騒いでいるのかと思ったら、

ツグミ

たくさんいます

ツグミは冬を知らせる鳥。

イノッチはすっかり歳をとりました。

 

【参考】

七十二候|暮らし歳時記

霜降(そうこう)末候 楓蔦黄(もみじつたきばむ)|七十二候と旬のおはなし | 七十二候と旬のおはなし | 暦生活

【ムクドリ類】ホシムクドリ撮りました!

晩秋の河北潟、はじめて撮りました、ホシムクドリ

ホシムクドリ 冬羽(雄雌同色)

くちばしは冬羽では黒っぽい。夏羽では黄色っぽくなる。

尾は、ヒヨドリの尾に似ています。

(2023.11.3河北潟にて)

ホシムクドリ 

L:20cm

冬鳥として主に九州に渡来する。そのほかの地方では迷行列があるだけ。世界的には大群でと越冬するのが有名だが、日本ではムクドリの群中に小群でいることが多い。そのため、採食もねぐら入りもムクドリと行動をともにし、一日の生活はほとんどムクドリと一緒だ。『絵解きで野鳥が識別できる本』(叶内拓哉著)175頁

 

 

撮った時、これは久しぶりのレア鳥だと胸が高鳴った。でもなにかは、わからなかった。イソヒヨドリのメスに似ている?いやいや色が違う。ツグミの幼鳥か。違う。もしかして、ホシガラス?いるわけないか。『絵解きで野鳥が識別できる本』著者叶内氏に感謝。この本は亜種まで載っているので野鳥好きには必携です。

過去に亜種のコウライキジを撮ったときも感動しました。

【コウライキジ】撮りましたよ - 『歎異抄』に帰る (hatenablog.com)

紅葉と鳥と『歎異抄』第四条と

明日は降るようなので今日しかないなと思った。

境内のイチョウがきれいです。

イチョウの紅葉

イチョウよりきれいなのがサルスベリ

サルスベリの紅葉

晩秋の連休に行きたいところは河北潟。鳥を撮りに行きます。

河北潟からの白山連峰

メタセコイア並木(河北潟)

メタセコイアの並木はちょっとした観光地になっています。

この花はなにかな?背が高くてピンクの11月の花。タチアオイやフヨウに似てるけど、時期が違う。

近くでモズがいばっています。

百舌鳥(モズ)

シラサギ(ダイサギ)

ダイサギチュウサギの違いについて、ダイサギは名前のとおり大きい。ダイサギは口角が眼の後端を超えているのに対し、チュウサギは、口角が眼の後端とほぼ同じ位置にある。丁度、木が邪魔しています。

 

アオサギ

写真の続きは明日。

『同朋』11月号 歎異抄⑤(書いて学ぶ親鸞のことば)より

第四章
慈悲に聖道・浄土のかわりめあり。聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし。浄土の慈悲というは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈大悲心をもって、おもうがごとく衆生を利益するをいうべきなり。

(中略)

しかれば、念仏もうすのみぞ、すえとおりたる大慈悲心にてそうろうべきと云々

 

【現代語訳】

 あわれみかなしむ心に聖道の教えと浄土の教えとで違っているところがあります。 戒律を守り、厳しい修行を積んで 聖者となって仏となろうとする聖道の教えがとく慈悲というのは、 生きとし 生けるものをあわれみ、かなしみ、大切にいたわろうとする心です。けれども、 思うようにたすけることをなしとげるのは、甚だ 稀なことです。 浄土の教えが説く慈悲というのは、 念仏をして、急いで仏のさとりをえて、大いなるあわれみの心、 大いなる悲しみの心を起こして、思いのままに すべての生きとし 生けるものに恵みを与えることをいうのです。

(中略)

 そうであるから、念仏を称えることのみが、生きとし生けるものを救うということを最後までなしとげる、 大いなる慈悲の心であるはずです、と親鸞聖人は仰せられました。 

月刊『同朋』誌 2023年11月号 | 東本願寺出版

 

最近、「帰敬式法話」のご依頼があってお話をさせてもらった。はじめてだった。20年以上ずっと、私ならどう話すだろうと思ってお話を聞いてきた。

 

帰敬式の、「帰」帰るところは、浄土です。浄土真宗は、浄土を真とすることを宗とする。「宗」というのは、中心にするということで、浄土を中心にすることです。また、この帰るところはよりどころです。わたしたちの「帰すべきところ」は、南無阿弥陀仏です。南無阿弥陀仏がよりどころであり、帰るところです。

 

「帰すべきところをうる」、帰るところ、依るところをえることは、「念仏して、いそぎ仏になりて」ということだったのだと。青い鳥を見つけた思いがした。

 

私の夫

私の夫はロバのような人だ、と新婚旅行のときに思った。彼は特大のモンベルのリュックを黙って担いで歩いた。
妹からすると「ウサギのような人」なのだという。ウサギは飼い主にしかその表情が読めないといわれる。夫が喜んでいる時怒っている時辛そうにしている時はわかる。
昨日夫は珍しく帰りが遅かった。母は「(婿が)出ていったのではないかと心配でしょうがなかった」といった。結婚して20年以上になる。彼は飲みに行くこともなく、パチ屋にも行かない。休みの日はコメリには行くが、仕事以外で出かけることがほとんどない。じーっと一人で六畳半の秘密基地で過ごしている。ゲームをしているみたいけどなにをしているのかは知らない。
ある日夫が「今から弱音を吐くよ」と言って、仕事をやめたいと言った。「辞めたらいいよ、ちょうどいい」と私は言った。
付き合っていた時、彼は大学を卒業して、仕事をしていなかった。そのうち学童保育の仕事をした。私は介護の仕事をしていた。同棲することになったが、養っていたように思う。それで、よかった。
また、養うことになるのは、悪くない。ロバは今まで一生懸命に私達家族を黙って担いで歩いてきたのだから。

月参り希望日

22時に京都から帰ったら、月参りの日の変更のハガキが届いていた。11月から6月まで平日の月参りができなくなるので、御命日前後に提案した。同封のハガキに希望日をマルして投函していただくようお願いした。

 

いずれかにマルをお願いいたします。

2022年11月2日(水)

お休み・10/30(日)にする・11/2夜18:00にする

・・・

 

6ヶ月分のお参り日の変更のマルが書かれていた。

私には、お参りして欲しい気持ちはあるのかな。

お参りして欲しい気持ちは大切にしたい。お参りしてほしい方にお聞きしたい。なぜ、そう大切にされるのですか?

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