『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

月参り希望日

22時に京都から帰ったら、月参りの日の変更のハガキが届いていた。11月から6月まで平日の月参りができなくなるので、御命日前後に提案した。同封のハガキに希望日をマルして投函していただくようお願いした。

 

いずれかにマルをお願いいたします。

2022年11月2日(水)

お休み・10/30(日)にする・11/2夜18:00にする

・・・

 

6ヶ月分のお参り日の変更のマルが書かれていた。

私には、お参りして欲しい気持ちはあるのかな。

お参りして欲しい気持ちは大切にしたい。お参りしてほしい方にお聞きしたい。なぜ、そう大切にされるのですか?

f:id:meirin41:20221028000346j:image

f:id:meirin41:20221028000352j:image

 

 

「十方衆生」というは、すなわちわれらなり。①

自習が大事になってくると思う。参加する学習会のURL公開

親鸞教室|佐野明弘 他|光闡坊|石川県|浄土真宗の法話案内 (shinshuhouwa.info)

 

「十方衆生」というは、十方のよろずの衆生なり。すなわちわれらなり。(『真宗聖典』521頁)

十方衆生とは業縁の存在たる一切の衆生を皆、同じく、斉しく摂取し呼びかける如来の言葉である。この言葉に「ら」の一字をもって自らを見いだし応表したのが「すなわちわれらなり」の金言である。

 

応表」は佐野さんの造語とのこと。

『尊号真像銘文』(『真宗聖典』521頁)

また曰わく、「言摂生増上縁者 如無量寿経 四十八願中説 仏言若我成仏 十方衆生 願生我国 称我名字 下至十声 乗我願力 若不生者 不取正覚 此即是願往生行人 命欲終時 願力摂得往生 故名摂生増上縁」(観念法門)文


「若我成仏」ともうすは、法蔵菩薩ちかいたまわく、もしわれ仏をえたらんにと、ときたまう。「十方衆生」というは、十方のよろずの衆生なり。すなわちわれらなり。「願生我国」というは、安楽浄刹にうまれんとねがえとなり。「称我名字」というは、われ仏をえんに、わがなをとなえられんとなり。「下至十声」というは、名字をとなえられんこと、しも、とこえせんものとなり。下至というは、十声にあまれるものも聞名のものをも往生にもらさずきらわぬことをあらわししめすとなり。

 

『尊号真像銘文』はあまり勉強しないのだけど、親鸞聖人のポイントが書かれていることは聞いている。善導の書いたものの中でもっとも重要な言葉として、4つ挙げているのだと思う。善導は『観経疏』、「二河白道」が有名だけど、ここでは『観念法門』を引用する。(続く)

『証巻』二―三、一味同證③

それ故に浄土の声が、その一味同証の妙境なることを顕わすものである。而してかく浄土が一味同証の境なる所以としてそこに知らるるものは、その浄土を住持する如来の力である。これに依りて次いで荘厳主功徳成就が思われるのである。されば「彼の安楽浄土は正覚阿弥陀の善力のために住持せられたり。いかんが思議することを得べきや」という言葉は、弥陀の住持力に依りて浄土の徳を顕すものであらねばならぬ。したがって住持の語を「住は不異不滅に名く、持は不散不失に名く」と解して、不朽薬の例を挙げ、「若し人、一たび安楽浄土に生ずれば、後の時に意(こころ)三界に生まれて衆生を教化せんと願じて、浄土の命を捨てて願に随って三界雑生の火の中に生まるといえども、無上菩提の種子、畢竟して朽ちず」と説かれることは、菩薩還相の徳が弥陀住持の力によることを顕わすものであることはいうまでもないことであるが、併しそれは同時にまた彼の仏国の徳を彰わすものではないであろうか。浄土を一味同証の境とするが故に、定散の自力を捨てて正定聚に入り、浄土を一味同証の家郷とするが故に、生死海にありて無上菩提心を捨てない。かくして浄土の声が往還の徳を成就するのである。
教行信証講読』信証の巻(『金子大榮選集第七巻』)(コマ書店発行昭和44年)・448頁

うん、なにからいきますか。『真宗聖典』282頁を開く。

荘厳主功徳成就

「荘厳主功徳成就」は、「偈」に「正覚阿弥陀 法王善住持」のゆえにと言えり。これいかんが不思議なるや。正覚の阿弥陀、不可思議にまします。(『真宗聖典』282頁)

『浄土論』確認『真宗聖典』136、139、140頁

仏国土の荘厳功徳成就を観察すというは、十七種あり、(略)十二には荘厳主功徳成就

 

「彼の安楽浄土は正覚阿弥陀の善力のために住持せられたり。いかんが思議することを得べきや」弥陀の住持力に依りて浄土の徳を顕す

 

住は不異不滅に名く、持は不散不失に名く

 

不朽薬(ふきゅうやく・モケモケ?)

不朽薬を種に塗ると、水に在くに蘭(みだ)れず(腐らないということ)、火に在くに燋がれず(燃えない)、因縁を得てすなわち生ずるがごとし。何をもってのゆえに。不朽薬の力なるがゆえなり。(まあそうでしょう、朽ちない薬ですから)

 

「若し人、一たび安楽浄土に生ずれば、後の時に意(こころ)三界に生まれて衆生を教化せんと願じて、浄土の命を捨てて願に随って三界雑生の火の中に生まるといえども、無上菩提の種子、畢竟して朽ちず」と説かれることは、菩薩還相の徳が弥陀住持の力によることを顕わすもの

ふむふむ。一たび安楽浄土に生ずれば、還相の菩薩の徳は弥陀住(不異不滅)持(不散不失)の力によるので、三界雑生の火の中に生まれても、水に腐らない(欲とか煩悩のことか)火に焼かれない(怒りとか煩悩のことか)朽ちず。

 

それは同時にまた彼の仏国の徳を彰わす

浄土を一味同証の境とするが故に、定散の自力を捨てて正定聚に入り、浄土を一味同証の家郷とするが故に、生死海にありて無上菩提心を捨てない。かくして浄土の声が往還の徳を成就するのである。

暗記。

さらっとは見た。

就職の準備

今日は手帳を買った。30分ほど迷ったけど(10月始まりの)ミドリにした。

ソフトバンクiPhoneの取り置きをした。イオンモバイルからのNMPの予約番号の発行には時間がかかる。大好きで使わないのに解約できなかったHUAWEI P20といよいよお別れします。楽天モバイルのOP○O Rino3にイライライラ。電話はほとんど出来ないし、カメラもダメ。ググったところに戻れない、すごく操作性が悪い。(アマプラの)音はいいかものしれないけど、そんなに聴かない。iPhoneなら間違いないでしょう。

統一教会の学習会について2月末に予定する。統一教会浄土真宗は何が違うのか。

最寄り駅の駐車場を契約する。月額2500円。

昨日は、車両保険に入った。10/6に、バイパス走行中に石が飛んできた。フロントガラスの真ん中ワイパーの下辺りにあたった。しばらく気が付かなかったが、10/14の朝の月参りの時ヒビが入った。すぐ車屋さんへ行った。ヒビは日々広がっていて怖い。10/25に修理予定。もう石が飛んできたら困るから、車両保険に入った。これは経験者でないとわからない恐怖なのである。

履歴書を預かった。写真は夏にファミマのアプリで撮ったのが手元にある。

あとやっておかなければならないことはなんだ、なんだ。

 

 

ささやかながら祝杯を

「<略>採用させていただくことが決まりました。・・・」

第七ギョーザの駐車場で、曇天に向かってガッツポーズした。

ささやかながら祝杯をあげる。

カタログギフトの、エノテカの6本セットの赤(イタリアワイン)。悪くない。

第七ギョーザには自販機があって、冷凍ギョーザが40個(20個✕2)1750円だった。これからお祝いの日はこれにしようか。

www.dai7-gyouza.com

近くのAOKI(の入り口)でジャケットとパンツとブラウスを買う。AOKIのシャツって、○ニクロのシャツと違って、パリッとしていていい。好きだったBRICK HOUSE(東京シャツ)のお店が撤退してから、AOKIで買っている。シャツは店舗で試着できるのがいい。金沢のAOKIは平日空いているのでいい。

スーツのAOKI【公式通販】 (aoki-style.com)

LADIES'(レディース)東京シャツ公式通販|ノーアイロン形態安定ビジネスワイシャツ専門店 (e-shirt.jp)

 

ジャケットとかシャツとかカーディガンとか、通勤の服をポールハンガーに揃える。

新入社員気分です。うれしい。

先輩Wくんが、「(先輩)Sさんは、毎日2時間勉強している」と言っていた。私も毎日2時間勉強する。50歳の手習いだね。

追伸

お祝いなので、ラクマコールハーンの6000円くらいの青いバックも買いました。バックはラクマで買うのが好きです。コールハーンの青は華やかできれい。カワセミみたいなきれいな色。

夏の終わりのバーゲンセールでコールハーンデビューして買った青いナイロンバッグは、私が一回も使わないのに遊林がひと目見て奪った。そして「私ハイブランドには興味ないのよね」と言い放った。(えええ。)

たしかに私が20代に母に買ってもらったものとは一桁違うけども。コールハーンのバックは細部に上質を感じます。え、僧侶らしくないか。ああ、まあ。

称名憶念あれども、無明なお存して所願を満てざるはいかん

常勤補導試験を最後に落ちたのは30歳のときだった。

その年の3月に結婚した。8月に修練スタッフになった。一度だけの。大谷大学の安居を受講した。これも一度きり。班別座談の担当が木越康先生だった。

しばらくして妊娠に気づいた。

翌年3月4日に父が亡くなった。61歳だった。二週間後に娘が生まれた。無我夢中で過ごした。五里霧中だったかもしれない。娘が保育園児だったときもブログを書いていた。なんかよくわからんけど会いに来られて待ち伏せみたいなこともあって怖くなったり、書いた言葉について「訴えますよ」なんて書かれたり、いろいろあってやめた。なにがあったかは忘れた。

41歳のときにまたブログを始めた。2018年6月に弥勒と出遇って、2019年11月8日に弥勒は浄土へ帰った。2022年10月、弥勒の命日までに少しずつ掃除をしようと思う。

 

常勤補導試験をはじめて受けて落ちたのは24歳の時だと思う。たしか、「嘱託補導を経験してください」と言われた。23歳の3月21日春のお彼岸に「本山奉仕団」に参加して、補導になってみたいと思ったのだった。嘱託補導をしていていろんな出会いがあった。(途中2年ほど開くが)34歳まで在籍した。はてなブログを教えてもらったのは常勤補導のIさんだった。Tさん、Tさん、Kさん、Iさん、Sさん、Oさん、Mくん、Fさん・・・

 

思い出してまた書きたくなったら書くかもしれない。

遅いよな。でも今なら受けられるかもしれない。

だけど2年も3年も10年も、やりたくてもできない。

25年越しの夢。叶うなんて思っていなかった。常勤補導一人ひとりを「私は採用してもらえなくてこの人は受かった人なんだ」と思って見てきた。それは今も変わらない。私を採用してほしいという思いももしかしたら変わらないのかもしれない。

それはなぜか考えていた。

おじいちゃんが喜んだのだった。

 

称名憶念あれども、無明なお存して所願を満てざるはいかん

実のごとく修行せざると、名義と相応せざるに由るがゆえなり。いかんが不如実修行と名義不相応とする。いわく如来はこれ実相の身なり、これ物の為の身なりと知らざるなり。また三種の不相応あり。一つには信心淳からず、存せるがごとし、亡ぜるがごときのゆえに。二つには信心一ならず、決定なきがゆえに。三つには信心相続せず、余念間つるがゆえに。この三句展転して相成ず。信心淳からざるをもってのゆえに決定なし、決定なきがゆえに念相続せず、また念相続せざるがゆえに決定の信を得ず、決定の信を得ざるがゆえに心淳からざるべし。これと相違せるを「如実修行相応」と名づく。このゆえに論主建めに「我一心」と言えり、と。

教行信証』「信巻」『真宗聖典』214頁

 

不如実修行(真実の修行でない)と、名義不相応(名の意義に相応(あいかな)っていない)とによるからである。

如来は真実そのものの身であり、衆生のためにある身であることを知らないからである。

これを、如来は「実相身(じつそうしん)」「為物身(いもつしん)」という。

真実が淳くないから決定がない。決定がないから念(おも)いが相続しない。また念いが相続しないから決定の信を得ない。決定の信を得ないから信が淳くないのである。これと相違するあり方を「如実修行相応」と名づける。だから論主は建(はじ)めに「我一心」と言われたのである。

『解読教行信証』(東本願寺出版部発行)・168頁

(この意訳はいかがなものか)

信巻に「このゆえに論主建めに「我一心」と言えり。」があと二回出てくる。法然上人が「三経一論」とおさえながら、『選択本願念仏集』に書かれなかった『浄土論』。我一心」を繰り返した「信巻」は、親鸞聖人自身と人間を表したものだと思っている。

 

 

 

『証巻』二―三、一味同證②

併しわれらはこの論文において、特に「彼の国土の清浄安楽なるを聞き」といい、さらに「これはこれ国土の名字仏事を為す、いづくんぞ思議すべけんや」という言葉に心ひかるるものである。「浄土」という声がわれわれを救うのである。浄土の声(な)がその清浄安楽の領域になることを思わしめ、而して其所に生まれんと願わしむるのである。しかもその清浄安楽の領域に生まれんと願う時、われらは虚仮不実なる自心を捨てて念仏の信楽に帰し、すなわち正定聚に入らしめらるるのである。誠に直接にわれわれを救うものは、如来招喚の声であろう。しかしその如来招喚の声が、われわれの心胸に響く所以は、それが浄土へと招喚するの声なるがためではないであろうか。すなわち如来の声は単なる如来の声ではなくして、実にそのまま浄土の声である。如来は浄土の声において衆生をして願生せしめ、浄土の声において称名念仏せしめ、浄土の声において自力の心を離れしめ、浄土の声において正定聚に入らしむるのである。それゆえにもし願生しつつ念仏せぬもの、念仏しつつ自力心を離れぬものは、真に浄土の声を聞かざるものといわねばならぬ。ただ浄土という言葉を知っているのみで、「彼の国土の清浄安楽」なるを聞かざるものである。清浄安楽はすなわち涅槃の妙境である。涅槃の妙境においては、いかで智愚善悪の簡びがあろう。しかも智愚善悪の簡びなきところは、すなわち自力疑心の永遠に生るべからざるところである。

教行信証講読』信証の巻(『金子大榮選集第七巻』)(コマ書店発行昭和44年)・448頁

金子先生が心惹かれるという「これはこれ国土の名字仏事を為す、いづくんぞ思議すべけんや」の現代語訳を当たる。

これによって見れば、国土の名字(なまえ)が仏の衆生教化の事(いとなみ)をするのである。どうして思い議(はか)ることができようか。

『解読教行信証』(東本願寺出版部発行)340頁

そして暗記する。

「「浄土」という声がわれわれを救う」

「浄土の声(な)がその清浄安楽の領域になることを思わしめ、生まれんと願わしむる」

「清浄安楽の領域に生まれんと願う時、われらは虚仮不実なる自心を捨てて念仏の信楽に帰し、すなわち正定聚に入らしめらるる」

「われわれを救うものは、如来招喚の声」「如来招喚の声は、浄土へと招喚するの声」「如来の声は単なる如来の声ではなく、浄土の声」

如来は浄土の声において衆生をして願生せしめ、浄土の声において称名念仏せしめ、浄土の声において自力の心を離れしめ、浄土の声において正定聚に入らしむるのである。

 

それゆえにもし願生しつつ念仏せぬもの、念仏しつつ自力心を離れぬものは、真に浄土の声を聞かざるものといわねばならぬ。ただ浄土という言葉を知っているのみで、「彼の国土の清浄安楽」なるを聞かざるものである。清浄安楽はすなわち涅槃の妙境である。涅槃の妙境においては、いかで智愚善悪の簡びがあろう。しかも智愚善悪の簡びなきところは、すなわち自力疑心の永遠に生るべからざるところである。

 

繰り返し読んだらほんわかとわかるものですね。わかったつもりになれる、ということか。③に続きます。

 

 

 

 

『証巻』二―三、一味同證①

浄土真宗の、教行信はすこし遊林に話すことができるくらいにはなった。

教は「大無量寿経これなり」「法」。

信は「機」「法器(という言葉がある)」。

行は「念仏」(「選択本願念仏」)「はたらき」。「法」と「機」をつなぐもの。

え、違うかな。まあとにかく私は今そう理解している。
「信」の学びは面白かった。鱗が落ちるような思いを何度もした。
「証」がさっぱりわからん。おじいちゃんの蔵書の金子大榮先生の本を手に取った。さすがなんかわかるような気がする。でも(字が古くて)読みにくくてわからないので、ワードに書き起こしたが、読みにくくなくなってもわからない。「一緒に読む人を見つければいいよ」「私と読みませんか?」とその人が言ったので、オンラインの読書会が始まった。もう一年になる。

(448)『証巻』第二章 浄土と、大涅槃

三、一味同證
  
必至滅度の願とその成就とは、浄土はすなわち涅槃界であり、したがってそこに往生するはすなわち成仏する所以であることを顕わすものである。されば浄土は涅槃界なるが故に、そこに往生するものは、皆悉く一味同証し、また涅槃界は浄土なるがゆえに、その所にあるものは法性の常楽を受くることであろう。而してその一味同証を説くものは、次いで引用さるる『浄土論』であり、その法性の常楽を嘆ずるものは、善導の釈である。

『金子大榮選集題七巻 教行信証講読 信証の巻』(コマ書店発行昭和44年)・448頁

真宗聖典』対象281-283(2行目まで)頁

とにかくわからんので暗記するようにひらう。「浄土は涅槃界」「往生は成仏」「浄土に往生するものは一味同証」

ここからは、『真宗聖典』を開いて昨日学んだことを振り返る。

 

 『浄土論』(論註)に曰わく、「荘厳妙声功徳成就」は、「偈」に「梵声悟深遠 微妙聞十方」のゆえにと言えりと。これいかんぞ不思議なるや。『経』に言わく、「もし人ただかの国土の清浄安楽なるを聞きて、剋念して生まれんと願ぜんものと、また往生を得るものとは、すなわち正定聚に入る。」これはこれ国土の名字仏事をなす、いずくんぞ思議すべきや、と。(『真宗聖典』281頁)

 

ここに引用されているのは、「荘厳妙声功徳成就」の文。
古来、「剋念して生まれんと願えばまたまた往生を得」と訓読されずに、「剋念して生まれんと願ぜんものと、また往生を得るものとは」と訓読されたことが着眼されてきた。
『一念多念文意』にも、同例がある。

剋念してうまれんとねがうひとと、またすでに往生をえたるひとも、すなわち正定聚にいるなり。『真宗聖典』537頁

親鸞の意は、この訓読において剋念(こくねん)願生の入正定聚を現生の益とし、亦得(やくとく)往生の入正定聚を浄土の聖聚の徳とするにあるのは明らかなことである。(続く)

 

まだ「荘厳妙声功徳成就」の途中。次は「国土の名字仏事をなす」、目下のゴールは同一念仏無別道故「荘厳眷属功徳成就」順番に学んでいけるのは金子先生のすごいところ。それにしても「国土の名字仏事をなす」ってなにか。

 

常不軽菩薩(つねにかろんじなき・ぼさつ)

常不軽(じょうふきょう)菩薩とは、誰と出会っても「あなたは仏性を宿し、やがて必ず仏になられる尊い人です」と声をかけて合掌し、礼拝したという。そのとき気でも狂ったのかと石を投げつけられることもあった。しかしその時でもそのことをやめなかったという。法然上人は、その常不軽菩薩こそ念仏者のことであると見られていた。〈中略〉隣にいる他者も我々と同じように阿弥陀如来より、「あなたは仏性を宿し、仏に成ろうと願っていて、やがて必ず仏に成られる尊い人です」と呼びかけられ、その阿弥陀仏に信じられ、敬愛されていることを知ることにもなる。そのことが我々が本願に遇い、念仏者となったことのしるしである。

『竹中智秀選集第1巻』184頁

レポートが仕上がった。

講義で上杉聰先生が「人間の最も深い欲望は、大切にされたいということである」といわれたことが印象的だった。他者に大切にされることに執着するので、"軽蔑された"被害者意識が暴走する。私が大切にされたいから、私を大切にしてくれる他者として、他者を大切にしたい。

と、結んだ。

それは「常不軽菩薩」の物語を彷彿とした。『法華経』に登場する菩薩。この菩薩の話を、私は30年前に大谷専修学院で聞いた。

そして、その言葉は、私が知らない誰かにとっても、手を合わしたくなるような言葉なのだ思う。





 

レポート「美作騒擾」を学ぶ(一部)

・賤民廃止令

明治4(1871)年8月28日、当時の政府―太政官は、穢多・非人などの賤民制度を廃止する布告(以下「賤民廃止令」ないし「廃止令」とする)をだした。これに反対し起こった一揆、あるいはこの布告ゆえに"増長"したと見なされ、部落が直接襲われた事件、その数は西日本を中心に二十件を超えた。       

『部落(むら)を襲った一揆』上杉聰著(解放出版社)2頁

 

【解放令】えた・非人などの被差別身分を廃止し、職業の自由を認めた明治4(1871)年8月発布の太政官布告。賤称廃止令。          

広辞苑』第六版(岩波書店)471頁

 

「解放令」という呼び方は、後世の布告に対する過剰な評価が加わっているので相応しい呼び方ではない。1871年8月の太政官布告は、単なる賤民制度、被差別部落の制度を廃止したに過ぎないもので、新しいところに移し替えるあるいは差別を禁止するという意味合いはない。差別をして襲撃した等の、差別的行為に対して一切手をふれなかったもの。欠陥がある布告であり、差別を黙認して、殺していくこと認める、放置する側面があった。布告に「称ヲ廃シ」とあることから「賤称廃止令」と誤解されがちであるが、名前の改変にとどまるものではなく、大きな法制的な変革であった。

(故に、「一揆」「騒擾」が起こった。)

・「美作騒擾」

北条県(現岡山県)北部美作(みまさか)地方でおきた騒擾。1873(明治6)年5月26日夜から5日間続いた。被差別部落民18人が殺され、襲った側は死刑が15人、処罰者数2万7千人。

・なぜ起こったか―太政官布告への農民の怒りの矛先がなぜ部落民に向かうのか

加茂谷には襲われた部落(むら)が三つある。津川原は当時加茂谷最大の部落で102戸。「賤民廃止令」直後、村の長が「私たちは平等にされたので、これからどうか親しく交際してください」という文書を近村へ配るなどし、部落解放へ向かった中心の村だった。農民たちの多くは、これまで人間以下にしか思っていなかった者から「対等に付き合って」と言われると"軽蔑された"被害者意識がおこる。当時農民は士族から差別され(士族が通る時は土下座した)部落を差別することで自らの誇りを保っていた。部落民は農民が通る時土下座した。農民たちが最初に襲ったある部落に対して「これまでの穢多でけっこうです」と書いた証文を出させた。これまでの無礼への許しを乞い、いのちだけは助けてくださいと詫びる文章にまとめた。これらの証文(「詫び状」)は26ある。津川原村は抵抗し続けた。襲われた被差別部落は27カ村ある。

 

【補足】

・明治4(1871)年8月28日発布の太政官布告(『太政類典』記載)

穢多非人等ノ稱彼發候自今身分職業共平民同様タルへキ事

(穢多非人ノ称ヲ廃シ身分職業共平民同様トス)

廃止令が命じたこと

一、これより直ちに、穢多・非人などの名称・制度を廃止する。

二、賤民は平民身分に加える。

三、職業は自由とする。

四、地租免除の制度を廃止する。

・「美作騒擾」1873(明治6)年5月26日夜から5日間

5月26日、村に不審な人物が来たとして、鏡野の貞永寺村に集まった約500人がその夜に一揆を起こし、近くの被差別部落を襲った。津山の県庁を目指し、五箇所の被差別部落と富豪や学校を襲い進んだ。燃え上がる家屋の炎は、辺を「さながら昼のように」照らした。

5月27日、北条県の発砲で8人が死亡。銃撃により農民4名即死。3名重症後日死亡。農民に応戦した警官一人流れ弾に当たり亡くなる。北条全県に騒擾が拡大。県の出先機関とみなされた官史宅や布告の掲示場、正副戸長、学校、そして被差別部落が広く襲われ、詫び状を出さない部落の家は焼かれ、破壊されていった。

5月28日、早朝から津川原の人々と農民一揆が対立。午後4時過ぎ、農民二千人近くが怒声を挙げてすざまじい勢いで102戸の集落に襲いかかる。放火され山中に逃げていく人々を追いかけ、また尾根を駆け上がり人々めがけて岩を落とした。夜8時頃まで山中で探索と殺害を続け、死者4人と重傷者十数人。密集した人家からでる炎と炎は寄り集まって渦となり、裏山の高さにまで燃えあがった。農民の多くは帰宅したが、山中を夜通し追跡したものもいた。明け方に岩陰に隠れていた5人が彼らに発見され、1歳の赤子(満0歳)、43歳の母、9歳の女子、46歳の男性、彼が付き添う79歳の母親が殺された。

5月29日、農民に捕まった被差別部落民が賀茂川に連れられ、生かすか殺すかを判断された。村の長と息子2人をはじめ、廃止令後に"増長"したと見なされた9人が惨殺された。

・当時の記録『美作騒擾記』より

「群衆は、これ(捕らえた部落民)を加茂川の辺なる火葬場の傍なる一陣の内に押し入れ、最初に半之丞(被害者の名前)を引き出し、これを水溜の中に突き落とし、悲鳴を挙ぐるを用捨なく、槍にて芋刺しに串貫(つら)ぬき、かつ石を投げつけてこれを殺したり。

それにより順次に同一方法を用いて5人を殺し、最後の6人目なる松田治三郎に至るや、隙を見て逃亡せんとし、今一歩にて加茂川に飛びいらんとするところを、後より石を擶(う)ち、これを惨殺せり。猛り切ったる群衆は、猶これにあきたらず、同部落民の家に火を放ち、半之丞の居宅ならびに土蔵三棟、納屋一棟を焼き払いたるを手初めに、火はしだいに次から次へ焼き移り、遂に全部落百余戸を灰燼(かいじん)に帰せしめ、また悲鳴を挙げて逃げ迷う老少婦女を捕(とら)へて、背に藁束(わらたば)を縛(ばく)し、これに火を放(はな)ちて焼死せしむるなど、すこぶる残惨を極めたり」。

「被差別部落民18人殺害、美作騒擾140年の沈黙に抗う~頭士 倫典」 ジャーナリスト・西村 秀樹 | シリーズ・ 抗う人 (gendainoriron.jp)

 

【参考文献】

季刊現代の理論「被差別部落民18人殺害、美作騒擾140年の沈黙に抗う~頭士 倫典」ジャーナリスト/西村秀樹

『部落(むら)を襲った一揆』上杉聰著(解放出版社)2頁

『これでわかった!部落の歴史』上杉聰著(解放出版社)190頁

歎異抄』金子大榮校注(岩波書店)『真宗聖典