『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

「無為(むい)」本生譚より

正信偈をよもう」源空章、聞き書きその二

無為ということについて、小学校の時の教科書に釈尊の本生譚が書かれていた。

森をさまよっていたら、清らかな声が聞こえた。

あたりを見回すと羅刹がいた。羅刹てわかる?鬼。

鬼があんな清らかな声を出すわけがないと探すけれども他にいない。これ偏見やね。

いろはにほへと ちりぬるを わがよだれそ つねならん。

物であろうが、いのちであろうが、常でない。

続きがあるに違いない、次を教えて欲しい、と、頼んだが、鬼は「腹が減っている」という。

「それなら、木の上に登って(鬼の)胸に飛び込むから教えて欲しい」といった。

(鬼が伝えたことが、)

有為のおくやまけふこえて あさきゆめみし酔いもせず。

有為というのは欲ばっかり、ああなったらいいとか。有為の反対が無為

無為というのは、真実一つをいただいていく。酔いもしない。

宝くじが当たったら酔っ払ってしまうんです。このままでいいの。このままで満点。30点なら30点で満点。いただいているもの満点。

(続く)

加筆:この物語は「雪山童子」とか「修行僧と羅刹」というタイトルでいくつか目にすることがありました。本生譚ですから、釈尊の前世の物語で、羅刹は帝釈天が姿を変えたものだったというのも見ました。今昔物語にありそうな展開です。今の小学生の教科書に書いてあるとはちょっと思えないですがのちほど遊林に確認します。