3月は嫌いです。もう3月が怖くて怖くて。眠剤必須。
と、毎年ここでただこねているかもしれません。
忙しくしています。
今日は何日?、あっという間です。
当寺で、3日4日5日6日に永代祠堂経法会を勤めました。共に聞法させていただいて、今年もたくさんのことを学びました。
学んだことはたくさんたくさんあったのですが、それは後で落ち着いてからアップしますが、一つだけ、
浄土宗のいとこのみっちが話していた言葉、
念仏往生の誓願は、平等の慈悲に住して、発(おこ)し給いたることなれば、人をきらうことは候わぬなり。
元祖大師御法話 第四 出世本懐 東力伝第二十八巻
浄土宗ですから、法然上人の言葉です。
親鸞聖人の言葉で言うと、
大悲無倦常照我(だいひむけんじょうしょうが)
正信偈のことば
大悲はものうきことなく(どんな私も、たとえ私が嫌う、私でも。)、常に照らされる、呼びかけられている、
というところでしょうか。
一つだけといったのに、もう一つ。法話が終わってから、こたつに入って話していたこと、
同類 助業
異類 助業
助業というのは、私の言葉でいうと、正定業ではない、ということなんだけど、
んー、「雑行、雑修」と、同じでないかもしれれないけど、近くもあり、
とにかく、みっちいわく、
「僕たちは娑婆に生きているんだから、娑婆のことも学ばないといけないと、思っているよ。」
私は保守的で、じいちゃんがやってこなかったことは、そう大事でないと思うのだけど、みっちの言葉になるほどね、と思った。
で、繰り返し、聞いているCDがあります。
たぶん、大勢の人がひきます。(笑)
迷林の趣味は野鳥を撮ることですが、お寺をやっている者であって、家族からは「親鸞おたく」といわれて嫌われています。(笑笑)
このCDに、何度聞いても泣きそうになる言葉があります。
こけこっこーっ
宗教心というのは決して、ありがたく美しい心でなくて
苦悩する心でしょう
宗教心が無ければ苦悩するということがない
人間というものは時に応じて
苦悩すると言うことではなくて、
本来苦悩するものを人間というんだ
人間というものは苦悩する存在なんだ
苦悩する存在だということは、真実を求めてやまない、
そういう人間なんだということでございましょう東本願寺出版 法話CD「本願に生きた念仏者」⑧常没の凡愚 より
さあ、共に生きるぞー!
親愛なる、習様へ
佐野さんとこのくろちゃんです
以上。
追記:カレンダーめくらなきゃなーと思った。
一月に本願寺派のお寺でいただいた「山陰妙好人カレンダー」が気にいっている。
「こっちは 忘れても 親さんは 忘れんだけのう」(源左(げんざ))